あいちゃん from Burlesque東京 INTERVIEW

今回インタビューで登場するのは、、「目指せ!おっぱいで世界平和♥」がモットーの「あいちゃん」です!夜の六本木、バーレスク東京を舞台にショーガールとして活動する、大きなバストと屈託のない笑顔が印象的な彼女に、知らず知らずのうちにお世話になってる男性諸君も多いはず、、。それは一体どういう事?破天荒でありながらも一貫した姿勢を貫く熱い女、そんなあいちゃんに色々とお話を伺ってきました。それではいってみましょ~!!
<Text&Shooted by KANE>


あいちゃん × PEAK HOUR
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あいちゃんは小学生の頃はどんな子だった?

 (※以下太字 / あいちゃん)

おてんばで外で遊ぶのが好きで、、中学校2年くらいまでペチャパイでチビだったから、結構すばしっこい感じの子でしたw
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元々横浜が地元だけど
幼稚園から小学校5年くらいまでは千葉の鎌ヶ谷って所に住んでて、結構自然もいっぱいある所だったから男の子とも普通に鬼ごっこしたりして遊んでました。それからまた横浜に戻ってきて。物心がついた頃から桜木町のガードの絵を見るのも凄い好きだった。

– 中学生になってからどう変化したの?

住んでたのが横浜の黄金町とか日ノ出町とかあの辺に近い所だったから、、街柄っていうか、道端でたむろしてやたら鼻筋に白いライン引いてたり。EGG (当時流行ったギャル雑誌) が流行った後、名残の時代だったからそういうメイクに憧れて、みたいな。
中2で生理が来てからいきなりオッパイ大っきくなってきて。ペちゃんこだった胸が一ヶ月でBカップになって、そっから毎年、、中3でC、高1でD、E、F、G、H、、で、二十歳までの間に Iカップにまで達して。一回21歳でJにまで達して、今は痩せて I にまで戻ったw
中三で高校の進路決める時に、勉強は嫌いだったし「何で高校行かなきゃならないの?絶対行かない!」とか思ってたんだけど、じゃあ何したいいんだろ?将来?って思って。
いきなり中2でBカップになって下着屋さんに初めて買いに行った時、店のおばちゃんに「何でこんなサイズになるまで下着買いに来なかったの!」って怒られたんだけど、、お母さんを小6の時に亡くしていたから、教えてくれる人いなかったし、その時はむかついたな、、。で、そこから下着を着けるようになって、下着の事色々調べたらワコール (大手下着ブランド) が日本ではNO.1ってなって。更に調べたらワコールで働くと3年から5年の間で全ての部署を回れるらしくて、全てを学べるのがいいなって思って。
ワコールに行くしか無いな、って思ったんだけど採用条件が大卒で。あたしが大学なんて無いって思ったけど、ワコールの推薦枠がある大学、京都造形大学を見つけて。絵を描くのは好きだったし、高校もデザイン科のある高校を受けて、、優等生ではなかったけど高3の夏には入りたかったその大学にAOで受かって入学も決まって。

– 中3の時からワコールへの入社を考えて計画的に動いてたんだね。

そこまでは自分の決めた進路をきれいに組み立てて行ったんだけど、、。高校に入ってからは当時の彼氏と元町の “BRIDGE” にダンスのイベントみたいので行ったのが初めてのCLUB体験で “Bodega” っていうCLUBも近所にあって、夜に親には「ランニング行ってきまーす!」とか言ってウインドブレーカーの下にホットパンツとか履いて、平日の0時回る前の1時間くらいスピーカーの前にいる、っていうのがクラブ遊びのスタートだった。
当時は友達と横浜駅の西口側にある駐車場に溜まるのが日課になってた。今思うとホント軽卒だったんだけど高2のある日、彼氏と別れてヤケクソになってた時、溜まり場から家に帰る途中、通りがかりの車にナンパされて車乗り込んでその人について行っちゃって。私も一人で相手も一人だったんだけど、、場所がどこだか分からないような、だだっ広い駐車場連れてかれて。途中飛び降りようかと思ったけどそれも怖くてできなくて。私が泣いたら相手は躊躇もしてたけどレイプされて。暴力的ではなかったけどグイグイこられて私も諦めて、、。
1~2時間で解放されたけど、、その時に女って不利だなって思った。私は「女として、男に負けない女になろう」ってその時に強く思った。男と対等にやってやろう、じゃなくて「女」を使ってやろうって思ったの。その事件が、私の根源にあると思うし、今も女だから出来る仕事をやってる。
高校卒業した後はワコールの推薦枠がある京都造形芸術大学行って、その頃にSNOOP DOGとか黒人文化に感化されて髪型アフロにしたら、居酒屋とか飲食店で働けなくなってw
どうしよう?ってなってた時にクラブに遊びに行ったら店長に「おまえ面白いな~、うちで働かへん?」って言われて、そのクラブでバイトしながら大学生して、家賃とか最低限の生活費は親に仕送りしてもらっていたけど、結構画材とかでお金かかったりでカツカツだった。
学校の授業でもあたし凄い生意気で。高校の時にデザインの事も学んでたから、初めたての他の子達よりは出来るじゃないですか。そういうのもあってあたし態度が凄い舐め腐ってて。それで適当にやるようになっちゃって単位落としたり。他にも色んな事が重なり、、大学も結局途中で辞めちゃって。

– それが20歳になったくらいだ。目標も無くなった先でどうしようと思った?

人生初の挫折、、。その後横浜に戻ってきて何するか決めてなかったから、半年くらいめっちゃ安いキャバクラで働いて、ノリでやっただけだったし、150万くらいそこで貯めてそのお店も辞めて。貯めたお金が無くなるまでプータローやって。
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一番上があいちゃんw
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使い切る時に「これから何をしよう?」ってなって。ちょうどその頃、神田うのがストッキング販売してそれが凄い流行ってて。神田うのは足が奇麗で「ストッキング」なら、あたしはオッパイが大きいから「下着」みたいな流れに持って行けるような立場になれたらいいな、って思った。
それで佐藤江梨子 (当時人気のあったグラビアアイドル) が好きだったから、所属事務所のイエローキャブも調べたんだけど募集要項とか何も出てこなくって、、。でも芸能人になりたいとかタレントになりたいとかそういう考えは元々無かったし、、「じゃあ、AV女優??」って。その方が短いスパンで名前も売れるし、あたしSEX好きだしw いいじゃん!!ってなって。
その頃渋谷のCLUBによく遊びに行ってて、街歩いてると凄いキャッチとかされるから、ある日キャッチのオヤジに声掛けられた時に色々話を聞いて。案内された事務所で面接して、オッパイが大きくて有名な女優さんも在籍してる事務所で。じゃあココに入ろう、ってなったんだけど、、色々あって、、結局そこの事務所は断って、自分で探して人づてに紹介してもらった事務所に入って。

– そこでAV女優としてデビューを果たすと。
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そう。2009年の6月に「鈴香音色」っていう名前が出来た。まだ芸名が決まってないっていう事で面接に行った時に、音が好きとかそういう流れで「鈴香音色」っていう名前に決まって、、いい事務所だったから嫌な思いとかはなかった。
私は2年で辞めるって決めて始めて。女優業はダラダラ長くやっても、、あたしは売名で名前を世に軽く出すっていうのが目標だったから。でも2年経つ頃に事務所に仕事干されて「そんなんで辞めれんの?」みたいに言われて「まだ続けます」って言ったら半年くらいの内に普通に仕事量戻ってて、、これイジメられてた、って思った。で、パッと「じゃ、辞めまーす」みたいな。それから引退作出して、やめた。
トータル、、2年半の間で単体で、再販みたいなのも入れて100シリーズくらい。人数物だったり企画物で200本くらい。

– 初撮影はどうだった?

以外と緊張しなくてw 緊張は多分してたと思うけど、始まったら「カメラマンさんこういう風に動くんだ、、」とか見渡しながら、後はされるがままで。男優さんも色んな配慮をしながらこなすから「男優さん、すげえな」って最初に思った。SEXうめえなって言うよりも、AV男優って職業なんだなって思った。
初現場の時はシミケンさん (AV男優) 。エロの現場なんだけど、撮影だから照明さん、メイクさん、監督、ADとか全部いる環境だし、ほんとドラマの撮影みたいで。

– およそ300タイトルって凄いよね。実際にはどのくらいの現場数こなしてるの?

200現場は確実にこなしてると思う。マジで一週間の間に4本ぐらい仕事入ったりした時は、それこそマ○コが切れちゃって泣いた。もうヤダ、したくなーい!って。でも、おかげさまで今は下ネタで入れないネタとか無いレベルで喋れるし、一通り経験してる感じ、何か色んなw くだらないのから王道まで、、スカトロ、ハードSM、アナルとかは、NGだけど。
あと私レゲエ音楽が好きで、レゲエは同性愛を許さない文化だからレズもNGにしてたんだけど、一回だけ「小坂めぐる」って言う女優さんがすっごい好きで、ちょうど小坂めぐるさんが引退する頃でやらない?って言う話が来て、あたしと小坂めぐるさんともう一人、女三人で絡んだ。
好きな女優さんだったし、憧れの先輩みたいな感じだったからすごい緊張した。男の人とやる時も映り方とか技はあるんだけど、そういうのを生かしながら、お互いを綺麗に魅せるっていうのを意識して。
AVの現場もすっかり慣れちゃうと、撮影が重なってる時とか隣からガンガン喘ぎ声が聞こえてくる中で平然とお弁当を食べてたりとか、全然気にしないで「あ、お醤油入ってなーい!ヤバ、声だしちゃダメだ」みたいなw 普通の生活だったら考えられない。

– そんなAV女優として活躍した2年半の生活も、いよいよ終止符を打つ事になると。

18の時に地元の「浜劇」ってところに初めてストリップを観に行って、、。子供の頃からそこに在ったのは知ってたし、すごい気になってて、男友達に「どうしても行きたいから」って一緒に行ってもらって観たんだけど、女の人の体がすっごい奇麗で、、。
AV女優からストリッパーになるのがセオリーみたいになってたし、AV女優辞める頃と重ねてストリッパーデビューして。そこからストリップにハマっちゃって。AVは辞めたけどストリップは続けて。
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– ストリップはどこでやってたの?

ストリップは「川崎ロック」デビュー。その後地元の浜劇も出たし。地元で表に垂れ幕も出て。「鈴香音色、来演」みたいなヤツも出してもらったりとか。浅草ロック座も出演させてもらったりして。強面で表情が硬いおじさんとか来るんだけど、わたしがステージで踊った時に笑顔を振りまいた時、そういうおじさんがつい笑っちゃうのとか、ニヤッとしたのを見ると凄い私の中で幸福感、、。一種の快感を感じるな、と思って。
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一番最初に会ってお世話になった姐さんに「5年やらないと踊り子じゃないわよ」って言われて。それで5年やろうって思ったんだけど、、ストリップ三周年の前くらいでお父さんにバレて凄い怒られて。それで勝手に辞めさせられて。
地方営業であちこち行ったりして飲みに行った先で「何やってるの?」って聞かれて「旅芸人です!」とか言ったりしてw すごい楽しかったから、辞めさせられたのも凄い悔しかった。それが25歳くらいの時で。
で、お父さんが「ニューヨークのブランドのバッグの販売権を買ったから、おまえやれ」って言われて、、デスクワークなんか全然やった事ないのに、お父さんの隣でデスクワーク生活を1年くらいやってたんだけど、ホント病んで。私の人生で一番の暗黒時代。その時期が。人と顔を合わせる仕事をずっとやて来てて接客が好きだったけど、その時期は毎日パソコンと睨めっこでお父さんしか顔を合わせない。ああしろ、こうしろ言われるけど全然分からない事ばっかで。
貯金も結構有ったんだけど全部その仕事につぎ込んで底をついてきて、その頃に「こんなんじゃ鬱病になっちゃうよ!!」って言ったら「じゃあ精神病院でも行って診てもらってこい!」って言われて。その勢いで飛び出して診てもらったら、鬱って診断されて、、それが自分でもショックで。「あたしが鬱?!え~!!」ってw でも結局鬱では無かったしw それで仕事も辞めさせてもらって。
お父さんも仕事になる事は色々チャレンジするタイプで、自由にやってる人だけど今は何の仕事してるか分からない。その一件でお互い仕事の話はしなくなったし私も聞かないし。
片親で育ってきて、お母さんに似てる娘がこういう仕事をする事に理解はしてくれてないと思うけど、、でも、とりあえず俺の言いなりには出来ない、ってある程度の諦めはついたんだと思う。

– それからお父さんとは会ったりはしてる?

会うけど普通に実家に帰ってお父さんのご飯食べて、、とかね。自分と似てる所が多くて何かとぶつかるから、あんまり好きじゃないけどすごくリスペクトしてる。

– AVからストリップ、デスクワーク時期を経てどうだった?

ストリップへの未練は今もあるし、お父さんと始めた仕事は今までやった事のない全く違う分野の事だったから、経験としては良かったかなって今は思ってる。でもやっぱり人前に出る仕事がしたい!ってなって探して今やってるのが、六本木にある “BURLESQUE TOKYO“。バーレスクはショーパブのエンターテインメントとして日本の最先端だと思うし。

– バーレスク東京に入った経緯は?

噂を聞いて調べたら、バーレスク東京のオーナーであり演出家、内藤良太さんのブログが出てきて、、そのブログがすげえ熱くって共感できて。ここしかねえ!!って思って。「面接したいです。」って言うのをその日にガンガン書いて送って。自分の今までのプロフィールも書いて、きわっきわのVビキニの全身水着の写真も送って。そしたら向こうも「なんかヤベえの来たぞ、とりあえず入れとけ」みたいになったみたいでw で、面接した次の日から体験で入って、その次の日から本出勤。ポンポンポーン!みたいな感じで、また人前に出る仕事に復帰した。
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@Burlesque東京
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私、以外と面白い人生歩んでるかも、、。先の事を決めないと進みだせない、何して行けばいいか分からないって子もいるけど、そういう生き方が逆に出来ない。コレッ!って決めないと何も出来ないし何もしないっていうタイプだから。今までも行き詰まった時とか、人生の年表書いたりとか、5年後何してたい、10年後何したいって紙に書いて知って、、自分の意志を確認したりとか常にしてる。

– 未来はどうありたい?

今やってるバーレスク東京も楽しいし、まだ決まってない。ストリッパーへの未練もあるし、アートな事したいし、下着とかもやりたいし、結婚して子供生みたいっていうのもあるし色々せめぎあってるお年頃、、なのかな。
ストリップの先輩の姐さんがいるんだけど、その人は40過ぎててすっごい綺麗で、、旦那さんもいて子供も育てて、そういうのが理想かな。かっこいい。女前というか男前というか。すごく粋だし、裸一貫で人を楽しませるっていう。あたし自身も、そうやって人を魅了させたいな。
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Full Moon Rave 2017@ageha
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– ピークアワーっていう言葉から何を連想する?

気持ちがいい時。お客さんの笑顔をたくさん見れた時。たくさん見れた上で、ちゃんとプロップスが返ってきたときはホントに、、ピークアワーかな。楽しませたい気持ちは常に持ってるから、バーレスクも遊びにきてほしいし絶対に後悔させない、って思ってる。
私が辿ってきた経歴に悔いはないし何も恥じてないし全部話せる。女優だった時代も、その話に触れなかったら忘れ去られて何事もなくなるだろうけど、隠したくないから言うし。理解出来ない人はつるむ必要もないし。
高校、大学の友達も、クラブの遊び友達も、私が女優やってた頃から今も、誰も否定しなかった。いい環境だったし今後も色んな人達と出会って、私にしか出来ないような事を表現していきたい!!
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– 今日はありがとうございました!今後の活躍も楽しみにしてます!(握手)あいちゃんの出演情報や近況に関しては、バーレスク東京のスケジュール、あいちゃんのツイッター等をチェックして是非現場でヴァイブスを体感してみて下さい!
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<Twitter : あい@バーレスク東京

BURLESQUE東京 Website

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PEAK HOUR!!

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ゆるふわギャング / Mars Ice House

2016年、突如として現れた新感覚のHIP HOPユニット「ゆるふわギャング」。初期衝動からの勢いでクラウドファンディングを経て制作、完成したファーストアルバム “Mars Ice House” が4月5日、遂に一般発売!!

桜の季節、春の到来、そんな新しい季節にピッタリな記念すべきファーストアルバムにて、ジャケットのアートワークを担当させて頂きました。ゆるふわギャングをイメージした色と雰囲気で、アルファベットの白線 “YRFWG” を軸に広がる宇宙空間、、原画はエアーブラシとマスキングを駆使して描いて(塗って?)ます。今回制作した作品のタイトルは “YRFW GARAXY” !!キラッキラな内容と重ねて楽しんで頂けたら幸いでございます♪

感染者続出中、、今回のアルバム発売を皮切りに今年はより活発に様々な動きを見せてくれそうな ゆるふわギャング、、今後も要注意です!!  by KANE
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ゆるふわギャング / Mars Ice House   Cover art by KANE
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→ ゆるふわギャング
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PEAK HOUR!!

 


NORIKIYO / Bouquet

NORIKIYO のソロアルバム通算7枚目 “Bouquet” が3月末に発売しました!!2007年に発表された1stアルバム “EXIT” から祝10周年!!

そして今回もCDジャケットデザインは246GRAPHIXで制作しています。振り返れば “EXIT” から一貫してアルバムのアートディレクション、デザインを制作してきましたが、ノリキヨのラッパーとしての存在感、雰囲気が一回りも二回りもデカくなっているという事実を、このタイミングで改めて痛感している次第です。

今回のジャケ制作では、交錯する人の渦に紛れるノリキヨを撮影、紙ジャケの表裏面を開いて一枚の写真を使用、全体を構成。人それぞれが何かを抱えながらどこかへ向かっていくイメージと、喜怒哀楽をはらんだ混沌の「今」を表現しています。

聴けば聴く程、ダシが染出る傑作アルバム “Bouquet” 、、。ノリキヨの言葉の花束、、こりゃ〜深みあり危ないですよ!! by KANE

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NORIKIYO / Bouquet   Art Direction, Design&Layout : 246GRAPHIX
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→ NORIKIYO

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STAY DOPE!!

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2017

2017年、平成二十九年、一月二日。明けましておめでとうございます!!

あっという間にまた今年が始まりました。新年ピークアワー、皆様いかがお過ごしでしょうか?!
昨日より今日、今日より明日、、今この瞬間が最先端、最高潮。
Studio PEAK▲HOUR 独自の視点から、気持ちを新たに様々な情報や作品、商品を発信していきますので、皆様
今年も宜しくお願い致します!!
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元旦の寒川神社

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PEAK HOUR!!

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Sophiee with ゆるふわギャング INTERVIEW

 ゆるふわギャング、、!? Ryugo IshidaとSophiee の男女2MC、ビートメイカーのAUTOMATICの3人で、およそ半年前に結成された最新式HIP HOPユニット、それが「ゆるふわギャング」。
前回のRyugo Ishidaへのインタビューから引き続き、今回はゆるふわ紅一点のフィメールラッパー Sophieeへのインタビューを中心に、メンバー3人を交えた座談形式でお送りします!!
<Text&Shooted by KANE>
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Sophiee × PEAK HOUR
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–  今日は「ゆるふわギャング」でのファーストアルバム制作作業中という事だけど、ソフィは何が切っ掛けでラップを始めたの?
(※以下 S – Sophiee / R – Ryugo Ishida / A – AUTOMATIC)

S
その頃遊んでた友達にラッパーが多くて、ノリで始めたんだけど途中から本気になってきて。もともと音楽凄い好きだったし、面白そうだったから、、。

– それは何歳の頃?

S
高2くらいです。レゲエ好きでヒップホップも聴くようになって。アメリカのばっか色々聴いてて、、EMINEMの “Without me” とか高校の頃凄いキャッチーで、”Stan” とか、、。色々出来るEMINEMは衝撃だったんですよ。音の聴こえ的に面白かったし、ソフィは最初、EMINEMで面白いって思ったし、全然ヒップホップ聴かない人にもその衝撃を味わってほしい。そういうの大事なんだろうなって思いながら曲も作ってます。

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– ソフィの地元はどこなの?

S
品川ですね。お台場まで電車で3分の距離ですね。ずっと住んでて普通だと思ってたんですけど、茨城行ったりして帰ってくるじゃないですか、相当キモい街なんだなって。アハハ、作られたモノしか無いから、、。今まで全然違和感なかったのに今は超あるw 改めて、、。でも水は近いからいいよね。
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– 中学高校の頃はどんな女の子だったの?

S
今は22なんですけど、中三の頃から六本木のクラブ行ったり、超遊んでましたね。死ぬくらい、遊んでましたw その頃地元のピザ屋でアルバイト始めて。中学生だったんですけどコネで入れてもらって働いてて。
クラブ遊びはそのピザ屋の先輩に連れて行ってもらったのが初めてで。高校生になってからはお金貯めてN.Y行ったりスペイン行ったりして、N.Yに行ってから音楽もより好きになって。
世界旅行の本で目閉じてページをペラペラ~ってやって止めたページがスペインで、時期的にトマト祭りが被ってて。これ行かなきゃヤバいって思ってw 運命だって思ってw 16とか17歳くらい。お金貯めて一人で行って超楽しかった、、。
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15歳頃のソフィちゃん。
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– 2016の春にリリースしたフリー・ダウンロードのEP “SALT” でのソフィと、現行の「ゆるふわギャング」のソフィを音源で比べると、雰囲気がだいぶ変わったように思います。
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Sophiee / SALT
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S
最近感じることが多くて。ずっと東京に居ると景色も変わらないし全然開かなかったけど、リュウゴ君と会ってから茨城に行ったり色んなとこ行くようになって、、どんどんドアが開いてく、みたいな。
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R
今回作った曲全部にストーリーがあって、作るのも面白かったです。ず~っと二人で車で動きながら曲作りしてたんで。

S
「ゆるふわギャング」のアルバムの半分は、夏に超ブンブンで遊びながら作ったからテンション高いんですけど、予想以上に注目されて、、それから色んな人とも出会ったし、人に会いすぎてエネルギー使っちゃって、秋ぐらいとか曲も書けなくなって、、。でも11月に山梨行って、なんかボォ~~ッ!!ってなってw

– 山梨で覚醒したんだw 甲府の桜座であった「バンコクナイツ」上映会の時だね。

S
もう一個ドアあったみたいな。ステージ2みたいな。ゲームしてるみたいに。その日からまた「ゆるふわギャング」のアルバム後半の曲も一気に書き出して。

– ソフィーとリュウゴの出会いはいつ頃?

S
今年の6月にライブで知り合って、一緒に曲作り出したのが7月くらい。

– 出会ってから半年、その前は4月にソフィが “SALT” EPをフリーDLで出して、5月にリュウゴとAUTOMATIC BEATのタッグによる “Everyday Is Flyday” が発売、それから間もなくして「ゆるふわギャング」を結成して、今に至ると。
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S
こんな風になるの想像してなかったから、、遊びながら作ってて、思ってたより曲もいっぱい出来たしボリュームあるし。自分でもビックリしてます。


-「ゆるふわギャング」っていうネーミングの由来は?

R
ソフィに俺のラップがゆるふわだねって言われたのと、お互いタトゥーが入っててふわってるけどギャングだねw で「ゆるふわギャング」になりました。
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– (この日、全体の9割ぐらい出来上がったというアルバムのデモを聴きながら)ソフィの独特な雰囲気っていうか、今回のアルバムで炸裂していますね。

S
日本人あまり聴かないからですかね?常に新しい事が好きすぎて、、アメリカは常にフレッシュな気がして。だからそっちばっか聴いてるのかな?必ずターニングポイントでぶち込んでくる人がいるんですよ。そこからその時代の曲が変わってくような。そういうのになりたいなって思って。キーパーソンになりたい。こういうのもあるっしょ?的なものですね。
音楽で海外に行きたい、海外行って有名になりたい。最終は火星に行く事です。あはは


– 最近よく聴く曲とかは?

R
音楽っていうより最近映画よく観ますね、NETFLIXとかで。ストレンジャー・シングスとか、、。あとエクス・マキナ、人工知能が人間を追い抜く瞬間の話なんですけど。

-(会話の最中、ちょうどBGMにゆるふわギャングの “Fuckin’ Car” が流れている。)この曲は途中で展開が大きく変わるけど、トラックはどのようにに作っていったんですか?
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A
二曲繋ぎ合わせてるんですけど、一曲はフリーでネットで落として、もう一曲もネットで出てたのをメールして交渉して買いました。


– “Fuckin’ Car” に関してはAUTOMATIC BEATでは無いんですね。

A
そうなんです。でもこの曲から全て始まったので。この曲が「ゆるふわギャング」のインスピレーション、、これを聴いてこういう事か~、、みたいな、、。アルバム全体の色というか、ここから始まったんです。
2人から声をもらって音作りも展開していく事が多いので。自分からシンプルな形で音を渡して、2人の声が届いて、そこから曲としてアレンジしていくんで。ツイッターのダイレクトメッセージでやり取りしながら。
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S
ぶっちぎりでいたい、、。

R
(アルバム制作の)後半はもう、感情乗りっぱなしですね。感情的になるっていうか、そういうパターンに変わっていったよね。

S
ソフィ、冷たかったんですよ。人に興味ないっていうか、、誰に対してもドライだったんですよ。何かそういう環境が小さい時からずっとあって、ホント冷たかったんですよ。”SALT” EP の GHOSTって曲で言ってる事もマジでガチだったしw ソフィは前はああいう人でした。けど、ゆるふわやってからだんだん今溶けてきてるから。
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ゆるふわやるまで自分も病んでたし、だから今病んでる人達の事が分かるっていうか、前の自分にも言い聞かせてる。普通にメンヘラだったと思うし。そうなっちゃう人の事も分かる。ソフィは音楽やって救われたっていうか、、自分が凄い変わった。
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– 今日は「ゆるふわギャング」のメンバー三人が揃い踏みで、1ファンとして嬉しい光景です。

A
3人で会ったのは通算で4,5回くらいで。けどその距離感とはちょっと違いますね。チューニング合う人見つけた!みたいな。

S
ウチらは常に2人で行動してるから。(空中を指差して)ココにAUTOMATICさんが居て、、。会ってなくても会ってる感じがしてる。
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– 出会いと躍進、3人にとって今年は大激変の年だったんですね。

S
自分たちも大激変だったけど、それに気付いた人達も新しすぎて大激変だと思う。現在進行形っていう感じで、、音楽はタイトにやっていきたい。ゆるふわだけど。

R
幸せすぎて、ハイになりすぎてもう泣いちゃうぐらいの、、溢れる曲ばっかり出来たから、、。

A
この二人のバランス感覚は凄いですね。もちろん主人公も出来るんですけど、目の前で起こっている事を客観的にドライに観てるっていうか。二人にはこのまま感性で走ってもらって、俺はそのバックアップっていうか知識とかそういう部分でガッチリ行きます。

– ソフィにとってのピークアワーはどんな時?


S
音楽やってるとき、一緒に曲作ってる時とか、、曲が出来た時。ウチらが声録って、AUTOMATICさんにデータを投げて、また帰ってきた時。来た!!みたいな、プレゼント!!みたいなw ツイッターのDMを開ける、その瞬間がピークアワー。

A
リュウゴはいつピークになってんの?

R
いつもピークになってますね、、、。幸せっすね、、。

S
アハハ、凄い!うん、、そうだよね、、うん、、。 


– 2017年は早々に「ゆるふわギャング」のファーストアルバムも発売という事で、今後の活躍と動向を楽しみにしてます!!(握手)
その他、最新の情報等は下記 ツイッターのアカウントを是非チェックしてくださいね!!
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<Twitter : SophieeRyugo IshidaAUTOMATIC

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PEAK HOUR!!

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The Mothership Returns To Tokyo / Parliament-Funkadelic Tribute Art Show

昨日の関東地方では雪もチラホラ、、っていうか気がつけば師走直前!!そして11月28日より開催されるアートショー “The Mothership Returns To Tokyo / Parliament-Funkadelic Tribute Art Show” に参加します!!

自分的に思い入れのある曲 “SWING DOWN, SWEET CHARIOT” をサンプリングしたDr. DREのクラシック “LET ME RIDE” は、夢中で聴きまくってた大好きな曲だったし、原曲としては当時認識していなかったけど、後にそれ以外にも数多くのアーティストがP-FUNKの影響をうけている事を知るのです。これ以上話すとややこしくてキリがないので割愛しますが、一つ言える事は自分自身が心の底からFUNKのグルーヴを愛している事、、言葉には出来ない程の影響を受けているという事です!!

P-FUNKの創造主、George Clinton来日ライブに重ねた今回のアートショー。ライブ行きたいけど時間無いな〜、、レセプションでもしかしたら本人も来るかも?!何て考えながら只今作品制作に没頭中!! (汗)
今回のアートショーの概要は下記リンクの媒体でも詳しく見る事が出来ます。会期中に是非遊びにきて下さいね〜!!

KANE

“The Mothership Returns To Tokyo / Parliament-Funkadelic Tribute Art Show”

<参加アーティスト>
・From US
George Clinton, Overton Loyd, Diem Jones, Buzz Parker, Chris Prynoski, Gustavo Alberto Garcia Vaca, James Reitano, Josh Herbolsheimer, Kenny Keil, Man One, MARK OF THE BEAST, Michael Massenburg, Ritzy Periwinkle, Rob Reger, Syndrome Studio, Unification Theory

・From JAPAN
BLACK BELT JONES DC, BUNA, cherry chill will, COOK, GOSPEL FOR TRAMPS, Hideyuki Katsumata, HITOTZUKI (KAMI+SASU), KANE, Kazuya Ito as toi whakairo, KIO, Kiyoshi Takami, KRESS EYE, LEEGET, MA1LL (SIMI LAB), Masanori Naruse, MURASAKI, NOVOL, POPY OIL, Shuntaro Takeuchi, SUIKO, SunEye (Akiko & Hashim Bharoocha), Tadaomi Shibuya, Tokio Aoyama, USUGROW, YOSHIROTTEN

開催場所 : NOS ORG 〒150-0042 東京都渋谷区宇田川町4-3ホテルユニゾB1F ☎03-5459-1717
展示期間 : 2016/11/28(月) ~ 12/30(金)
営業時間 : (月~木) 18:00~翌2:00 (金・土) 18:00~翌5:00 (日・祝) 17:00~23:00

※アメリカ人参加アーティストの作品の展示は12月4日(日)までになります。
※入場無料ですが、NOS ORGは飲食店のため、ご来場の際は必ず1オーダー以上のご注文が必要となります。
※土曜、日曜、祝日は貸切営業が大変多いため、ご来場の際はNOS ORG(03-5459-1717)まで事前にご確認の上、お越しください。


<オープニグレセプション> ※2日間開催、入場無料
11.29(火) 18:00 ~ Midnight

[DJs] Wassupski (Jazzy Sport), TOMOYASU TAKEUCHI (マボロシ/ex:SUPER BUTTER DOG), TOMOHIKO HEAVYLOOPER (HOMARE/ex:SUPER BUTTER DOG), TEE (Wax Poetics Japan)
+参加アーティストによるライヴペインティング

11.30(水) 18:00 ~ Midnight
[DJs] G.RINA, ZEN-LA-ROCK, Danny Masao Winston (Wax Poetics Japan)
+参加アーティストによるライヴペインティング


http://www.hiddenchampion.jp/p-funk-nosorg16

http://www.qetic.jp/music/pfunk-161115/221058/

http://www.waxpoetics.jp/news/mothership-in-tokyo/

http://www.billboard-japan.com/special/detail/1752

 

PEAK HOUR!!

 


Ryugo Ishida INTERVIEW

茨城県の南部、海と見間違えてしまう程の大きな湖、霞ヶ浦に隣接する土浦をバックボーンに、日本語とTRAPの融和を軸にした独自のスタイルで中毒者続出中の問題作 “EverydayIsFlyday” を5月にリリース、、現在23歳にして今年新たなスタートを切ったラッパー “Ryugo Ishida” とは?
ヤンチャな風貌だけじゃ計り知れない、、今回は一癖も二癖もある才能に溢れた異端児である彼にインタビュー!!深みあり危ないよ!!
<Text&Shooted by KANE>
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Ryugo Ishida × PEAK HOUR
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– 今回こうしてインタビューをするまでに至ったきっかけは、今年夏終わりぐらいに遊びに行ったイベントでライブしてるのをたまたま観て、その日 Ryugo Ishida というラッパーの存在を初めて知って。タトゥーだらけで青いシャカシャカのジャージ履いて、ひょうひょうとラップを繰り出すその時のライブが面白くて、凄いインパクトあって。そこから YOUTUBE観てトバされて、今回のアルバムもゲットして Ryugo Ishida の言葉、スタイル、世界観、、更にトバされて。そもそもラップを始めたきっかけって何だったの?
 (※以下太字 / Ryugo Ishida)

俺が小学校2年の時、両親が離婚してるんですよ。父親との記憶ってほとんど虐待とかしかなくって怖かったんですけど、ある日急に「お父さんいなくなったよ。」って言われた時、凄い悲しかったんですよ。離婚した後に父親と1回だけ会う機会があって、暴力がひどかったんで会うの怖かったんですけど、その時は何でも言う事聞いてくれてそれが凄い嬉しかったんです。また次に会う約束もしたんですけど結局連絡こなくなっちゃって。後から手紙で父親が事故死した事を知って、その後父親の実家に行った時、いつもしてた指輪と俺が小さい頃遊んでたミニカーがあって。その時初めて父親の愛情に気付いたんですよ。虐待とかあったけど俺の事思ってくれてたんだな、って。その事をずっと後悔してて。中学入ってからも初めて出来た彼女がレイプされたり、家も貧乏で新しい父親が借金凄くて首吊ろうとしたり色々あって、、そういう生活が嫌だったんですよ。貧乏とか、人が死ぬ事とか、暴力だったりとかが。その頃自分も凄いグレてて、誰も信じれなくて、喧嘩とかばっかで。で、自分が中学3年の時、いとこも当時ヤンチャでHIP HOPのオーバーサイズみたいなファッションしてて、、その時に観たZEEBRAの “Street Dreams” って曲でも滑走路で日章旗のTシャツ着て、悪そうな人達引き連れて歩いてて「めっちゃ不良じゃん!ヤンチャじゃん!俺もそういう格好しよう!」って思って。そういう格好してたら、HIP HOP好きな先輩が話しかけてくれて。HIP HOP全然知らないし、聞いたら色々教えてくれて。それで初めてクラブに連れて行ってくれて、その時に観たライブで食らっちゃったんですよ。DEAR’BROさんっていう人で、CDもくれて。こんな近くに「ラッパー」って居るんだなって思って。言いたい事を言ってて、言葉の力が凄くて。その時、「俺も糞だと思ってる事全部言えるんだ!!」って思って。で、、ラッパーになろうって決めたんです。
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中学三年生の卒業記念写真。一番左がRyugo君。
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– 中3の時、そのライブを見るまでは HIP HOPを聴いたりしてなかった?

はい。その頃はブルーハーツだとか、尾崎の「15の夜」とか聴いてて。一人で聴きながら「何でこんなに毎日が糞なんだろう?」って。
ラップやる、ってなって歌詞を書く事を始めてたんですけど、「インスト」にラップを乗せるって言う事は先輩から聞いてたんですよ。「インスト」って何だ?て思って、ある日ビレッジ・ヴァンガードいったらジブリの作品集のインストが売ってて「あ!インストあった!!」ってなって。 初めてのラップはジブリのインストに乗せましたねw でも何かダセえなって思ってて。

その頃DEF TECHが流行ってて、CD友達が持ってて。それにもインストが入ってて。それで “Dear my friend” って言う曲を録って。その頃はHIP HOPが好きっていう友達が自然に5人くらい集まってやってましたね。
MTRって機材があれば曲を作れるって事で、下駄箱のスニーカーパクったり学校で新しい携帯持ってるヤツの盗んで売って金にしたりして、MTR買ったんですよ。それで、ひたすら作るようになって。中三の時から高校始まりぐらいまでは最初に集まった5人でやってて、そこからみんな遊び方変わっていって。
高校入ってから俺はクラブ遊びに夢中だったし。で、ライブやりたいけど場所が無い、どうすればいいのか先輩に相談したら「自分たちでイベントやればいいんだよ。」って言われて、同じ世代のヤツとか友達とか呼びまくって、やってみたらすげぇ盛り上がって。イベントもやって毎週クラブ遊びもやって面白かったですね。あちこちで喧嘩とかもあったり、夜の街ってこんな楽しいんだ!!ってなって。
中学の頃は喧嘩ばっかだったけど、高校入ってからは学校なんて行ってもつまんないし、授業もまともに受けないでリリック書いて、、夜はクラブ遊び、クラブオンリー。そこで色んな人達と知り合えたし、とにかく音楽に夢中でしたね。高1で始めた自分たちのイベントも偶数月で二十歳過ぎまでやったし。
高校卒業してからはTシャツのプリント屋でバイトしながら音楽もやってたんですけど、下手くそだし全然上達しなくて。その時にちょっとデザインも覚えて、自分たちのフライヤー作ったりとか。
二十歳になる時、このままじゃまずい、、何かもっと自分にしか出来ない事ないかな?って思ってお店始めたんですよ。
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土浦駅に隣接するMALL505に当時 “YBC” をオープン。今は閉店した店舗が目立つ。
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– 資金は貯めてたんだ?

二十歳で速攻借金しました。

消費者金融で?

はい。引っ張れるだけ引っ張って、それ賭けて友達二人で “YBC” って古着屋みたいの始めたんですけど1年くらいでダメになって。その影には色々あって、、ヤンチャだった時の、お金がらみの仕事もやったりして、荒れていましたね。”YBC” 閉めてから、金も稼いでいかなきゃならなくてBARで働き始めてからテクノとかハウスとかも覚えて、そういうパーティの遊び方も覚えて、、。もっと音楽もやらなきゃって思ってたその頃に、AUTOMATICさんと地元のイベントがらみのミーティングで出会うんです。周りの人からも「彼の音はヤバいよ」って言われたりして、そこで「俺、あと2年で売れたいんですけど自分をプロデュースしてください」って頼んで。俺その時とか、凄いラップ下手で、、。

– 今回のとその時(2年前)のラップのスタイルは全然違う?

全く違いますね。今回のアルバムの中の曲で “Fifteen” ってあるんですけど、十代の事を歌ってるからこそラップの調子も前のノリでやってます。この映像では地元の中学生たくさん出演してて、俺の弟も出てますw
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ラップも新しいのが流行り始めたじゃないですか。KOHH君の曲聴いたりして、俺もこういうのがやりたい!ってなって20歳過ぎてから始めたんですけどTRAP系のノリも最初は酷くて。ラップの仕方も超教わって、凄い勉強して。お店終わってからレコーディングして練習して、練習して、、。AUTOMATICさんと一緒に “1993”っていうフリー・ダウンロードのEPを半年に1回出していこうよって事で、ひたすら録った曲の中からイイ曲を5曲づつ出しながら練習しまくって。2年で売れたいっていうのもあって、”1993″ EPを3回出して4回目で今回のファーストアルバム “EverydayIsFlyday” で完結させよう、と。

– AUTOMATIC氏との出会いから、また急速にレベルアップしていくんだね。

そうですね。聴かせられるようなラップじゃなかったし、去年ぐらいまでは生活もやさぐれてて。荒れた生活から抜け出したかったし、金を持ってる時期もあったけどあぶく銭は一瞬で無くなるし、離れていく友達も多かったし、借金もブラックになって、いつまでもこんなじゃ駄目だ、アルバムも出して売れなきゃいけないんだ、と思って。
売れる為にはどうしていくか?やっぱり、ラッパーは曲作るしか無い。たくさん曲作って、練習して、それで “EverydayIsFlyday” を作って。

– 今回アルバムから3曲が MVになって Youtubeでも見れるけど、その中でも “YRB” は映像も際立ってインパクトがありました。あの曲はどういった経緯で出来上がったの?

これはBARで働いてた時、色んなのをチャンポンしてベロンベロンになっちゃったんですよ。で、トイレで潰れちゃって、朝起きたらソファの上にいて、何やってんだろう?ってなりながらめっちゃ幸せで。多幸感ハンパなくて。トイレで潰れてるときも夢見てたんですよ、売れてる夢ていうか、、それを書いたんです。映像もAUTOMATICさんと俺でパソコンいじりながら作りました。
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ジャケの “AKIRA” っぽい雰囲気のアートワークも最高でした。”AKIRA” 好き?

“AKIRA” の感じにしたのは年上の人達も聴いてもらえるように、ってのがまずあって。”AKIRA” の4巻の表紙が元なんですけど、それが地元土浦の旧港の風景に似てるのもあったり、、「俺たち優良不良少年だぜ!ヨタヨタのジャンキーども!」みたいな。金田すげえアツイじゃないですか。あのキャラと自分をリンクさせたいっていうのもありましたね。
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– それがファーストアルバム “EverydayIsFlyday” として、今年の5月に発売したんだ。

はい。それから6月、7月って東京でライブが増えてきて、ちゃんと生活していかなきゃいけなかったけど、お金も無いのに見栄はって洋服買ったり奢ったり、色々溺れちゃって、、。なんだかんだで私生活が全部ゼロになっちゃったんですよ。
支えるものも、仕事も無い、お金も無い。その時に見栄はって買った物とかは全て売ったりとかして。残ってるのは親父の形見と、自分で買った指輪、あと婆ちゃんからもらったネックレスぐらいで、そしたら何か吹っ切れて、、。

– それが今の “Ryugo Ishida” の新境地、なんだね。
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そこからライブの仕方も変わったし、自分が何なのか分かるようになって。
今回のアルバムは青春時代の全てを集約していて、今の自分はそこから更に何も無くなった自分なんです。”EverydayIsFlyday” は過去の自分で、今その次元に自分はいないというか、、。こういう内容のアルバムは今作れないし、今まで DUDEって言う名前でやってきてて、このアルバムを出すタイミングから死んだ父親が付けてくれた名前、本名の “Ryugo Ishida” で勝負していこうって思ったんですよ。

夢は常にでっかく持ってたいし、本気でグラミー賞穫りたいし、世界で通用するような音の気持ち良さを追求して行きたいって思ってます。この次で今のRyugo Ishidaがどんなのかもっと分かるだろうし。
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– それが今の「ゆるふわギャング」の世界観へ繋がって行くんだ。最近聴いてる好きな曲とかは?

lil yachty、名前もヨットからきてるらしいんですけど、水っぽいイメージが多くて好きですね。そういうのも吸収しつつ、俺色に変換出来たら。山も海も好きだし、テクノとかハウスとかのエンドレスな感じも凄い好きだし、、そういうのも混ぜて行きたい。常に踊らしたいんですよ。
あとブルーハーツ、北野武の「浅草キッド」も凄い沁みるんですよね。T-BOLANも好きだし、、。椎名林檎の「私生活」って曲の歌詞とかもトバされたし、小沢健二も最近聴いたり、、ゴイステ、、GOING STEADYとか。青春ものも好きで、、常に青春してたいなって。
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– 今この瞬間もピークアワー、人それぞれピークアワーって色々あると思うんだけど “PEAK HOUR” っていう言葉から何を連想する?

今は彼女といる時間ですね。一緒に共有できる時間が凄い幸せだし、大事なんですよね。俺の中で太陽ですね。彼女がいるから成り立ってるんですよ。音楽も最近良くなってきたし「愛の力こんな凄いんだ!」って思って。
好きだからやってる、好きな事しか出来ない。好きな事いっぱいあるし、好きな事だけやってたいんですよ、それが楽しくて、そうすると好きな事で色々見えてくるっていうか。音楽が好きでずっとやってきて、今はお金は無いけど幸せだし、支えてくれてる人達がいるからこそ出来てるものだと思う。
やってるからこそ泣かせてきた人達もいるし。全てが当たり前ではない、生かされてるというか、自然に対してもそう、何においても感謝する気持ち。それが無いと悲しいじゃないですか。そういう事をもっと伝えて行きたい。
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霞ヶ浦に隣接する地元の旧港は昔からのチル・スポット。
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– 今日はありがとうございました!!次には「ゆるふわギャング」としてのアルバムや様々なプロジェクトもあるみたいだし、今後の動向も楽しみにしてます!!(握手)
その他、最新の情報等は下記 ツイッターのアカウントを是非チェックしてくださいね!!

<Twitter : Ryugo IshidaAUTOMATIC

 


● CDプレゼントのお知らせ
10/16 ~ 10/23までの期間内に、今回のRyugo Ishidaのインタビューや映像等を観た感想をinfo@peakhour.jpまでお送り下さい。抽選で3名様に Ryugo Ishida の1st アルバム “EverydayIsFlyday” CDをプレゼントします。
※メールの件名に<Ryugo Ishida 感想> と、当選した際に送付する宛先、氏名を必ず記載して下さい。当選の発表は発送をもってかえさせて頂きます。


 

PEAK HOUR!!

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