Ryugo Ishida INTERVIEW

茨城県の南部、海と見間違えてしまう程の大きな湖、霞ヶ浦に隣接する土浦をバックボーンに、日本語とTRAPの融和を軸にした独自のスタイルで中毒者続出中の問題作 “EverydayIsFlyday” を5月にリリース、、現在23歳にして今年新たなスタートを切ったラッパー “Ryugo Ishida” とは?
ヤンチャな風貌だけじゃ計り知れない、、今回は一癖も二癖もある才能に溢れた異端児である彼にインタビュー!!深みあり危ないよ!!
<Text&Shooted by KANE>
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Ryugo Ishida × PEAK HOUR
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– 今回こうしてインタビューをするまでに至ったきっかけは、今年夏終わりぐらいに遊びに行ったイベントでライブしてるのをたまたま観て、その日 Ryugo Ishida というラッパーの存在を初めて知って。タトゥーだらけで青いシャカシャカのジャージ履いて、ひょうひょうとラップを繰り出すその時のライブが面白くて、凄いインパクトあって。そこから YOUTUBE観てトバされて、今回のアルバムもゲットして Ryugo Ishida の言葉、スタイル、世界観、、更にトバされて。そもそもラップを始めたきっかけって何だったの?
 (※以下太字 / Ryugo Ishida)

俺が小学校2年の時、両親が離婚してるんですよ。父親との記憶ってほとんど虐待とかしかなくって怖かったんですけど、ある日急に「お父さんいなくなったよ。」って言われた時、凄い悲しかったんですよ。離婚した後に父親と1回だけ会う機会があって、暴力がひどかったんで会うの怖かったんですけど、その時は何でも言う事聞いてくれてそれが凄い嬉しかったんです。また次に会う約束もしたんですけど結局連絡こなくなっちゃって。後から手紙で父親が事故死した事を知って、その後父親の実家に行った時、いつもしてた指輪と俺が小さい頃遊んでたミニカーがあって。その時初めて父親の愛情に気付いたんですよ。虐待とかあったけど俺の事思ってくれてたんだな、って。その事をずっと後悔してて。中学入ってからも初めて出来た彼女がレイプされたり、家も貧乏で新しい父親が借金凄くて首吊ろうとしたり色々あって、、そういう生活が嫌だったんですよ。貧乏とか、人が死ぬ事とか、暴力だったりとかが。その頃自分も凄いグレてて、誰も信じれなくて、喧嘩とかばっかで。で、自分が中学3年の時、いとこも当時ヤンチャでHIP HOPのオーバーサイズみたいなファッションしてて、、その時に観たZEEBRAの “Street Dreams” って曲でも滑走路で日章旗のTシャツ着て、悪そうな人達引き連れて歩いてて「めっちゃ不良じゃん!ヤンチャじゃん!俺もそういう格好しよう!」って思って。そういう格好してたら、HIP HOP好きな先輩が話しかけてくれて。HIP HOP全然知らないし、聞いたら色々教えてくれて。それで初めてクラブに連れて行ってくれて、その時に観たライブで食らっちゃったんですよ。DEAR’BROさんっていう人で、CDもくれて。こんな近くに「ラッパー」って居るんだなって思って。言いたい事を言ってて、言葉の力が凄くて。その時、「俺も糞だと思ってる事全部言えるんだ!!」って思って。で、、ラッパーになろうって決めたんです。
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中学三年生の卒業記念写真。一番左がRyugo君。
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– 中3の時、そのライブを見るまでは HIP HOPを聴いたりしてなかった?

はい。その頃はブルーハーツだとか、尾崎の「15の夜」とか聴いてて。一人で聴きながら「何でこんなに毎日が糞なんだろう?」って。
ラップやる、ってなって歌詞を書く事を始めてたんですけど、「インスト」にラップを乗せるって言う事は先輩から聞いてたんですよ。「インスト」って何だ?て思って、ある日ビレッジ・ヴァンガードいったらジブリの作品集のインストが売ってて「あ!インストあった!!」ってなって。 初めてのラップはジブリのインストに乗せましたねw でも何かダセえなって思ってて。

その頃DEF TECHが流行ってて、CD友達が持ってて。それにもインストが入ってて。それで “Dear my friend” って言う曲を録って。その頃はHIP HOPが好きっていう友達が自然に5人くらい集まってやってましたね。
MTRって機材があれば曲を作れるって事で、下駄箱のスニーカーパクったり学校で新しい携帯持ってるヤツの盗んで売って金にしたりして、MTR買ったんですよ。それで、ひたすら作るようになって。中三の時から高校始まりぐらいまでは最初に集まった5人でやってて、そこからみんな遊び方変わっていって。
高校入ってから俺はクラブ遊びに夢中だったし。で、ライブやりたいけど場所が無い、どうすればいいのか先輩に相談したら「自分たちでイベントやればいいんだよ。」って言われて、同じ世代のヤツとか友達とか呼びまくって、やってみたらすげぇ盛り上がって。イベントもやって毎週クラブ遊びもやって面白かったですね。あちこちで喧嘩とかもあったり、夜の街ってこんな楽しいんだ!!ってなって。
中学の頃は喧嘩ばっかだったけど、高校入ってからは学校なんて行ってもつまんないし、授業もまともに受けないでリリック書いて、、夜はクラブ遊び、クラブオンリー。そこで色んな人達と知り合えたし、とにかく音楽に夢中でしたね。高1で始めた自分たちのイベントも偶数月で二十歳過ぎまでやったし。
高校卒業してからはTシャツのプリント屋でバイトしながら音楽もやってたんですけど、下手くそだし全然上達しなくて。その時にちょっとデザインも覚えて、自分たちのフライヤー作ったりとか。
二十歳になる時、このままじゃまずい、、何かもっと自分にしか出来ない事ないかな?って思ってお店始めたんですよ。
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土浦駅に隣接するMALL505に当時 “YBC” をオープン。今は閉店した店舗が目立つ。
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– 資金は貯めてたんだ?

二十歳で速攻借金しました。

消費者金融で?

はい。引っ張れるだけ引っ張って、それ賭けて友達二人で “YBC” って古着屋みたいの始めたんですけど1年くらいでダメになって。その影には色々あって、、ヤンチャだった時の、お金がらみの仕事もやったりして、荒れていましたね。”YBC” 閉めてから、金も稼いでいかなきゃならなくてBARで働き始めてからテクノとかハウスとかも覚えて、そういうパーティの遊び方も覚えて、、。もっと音楽もやらなきゃって思ってたその頃に、AUTOMATICさんと地元のイベントがらみのミーティングで出会うんです。周りの人からも「彼の音はヤバいよ」って言われたりして、そこで「俺、あと2年で売れたいんですけど自分をプロデュースしてください」って頼んで。俺その時とか、凄いラップ下手で、、。

– 今回のとその時(2年前)のラップのスタイルは全然違う?

全く違いますね。今回のアルバムの中の曲で “Fifteen” ってあるんですけど、十代の事を歌ってるからこそラップの調子も前のノリでやってます。この映像では地元の中学生たくさん出演してて、俺の弟も出てますw
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ラップも新しいのが流行り始めたじゃないですか。KOHH君の曲聴いたりして、俺もこういうのがやりたい!ってなって20歳過ぎてから始めたんですけどTRAP系のノリも最初は酷くて。ラップの仕方も超教わって、凄い勉強して。お店終わってからレコーディングして練習して、練習して、、。AUTOMATICさんと一緒に “1993”っていうフリー・ダウンロードのEPを半年に1回出していこうよって事で、ひたすら録った曲の中からイイ曲を5曲づつ出しながら練習しまくって。2年で売れたいっていうのもあって、”1993″ EPを3回出して4回目で今回のファーストアルバム “EverydayIsFlyday” で完結させよう、と。

– AUTOMATIC氏との出会いから、また急速にレベルアップしていくんだね。

そうですね。聴かせられるようなラップじゃなかったし、去年ぐらいまでは生活もやさぐれてて。荒れた生活から抜け出したかったし、金を持ってる時期もあったけどあぶく銭は一瞬で無くなるし、離れていく友達も多かったし、借金もブラックになって、いつまでもこんなじゃ駄目だ、アルバムも出して売れなきゃいけないんだ、と思って。
売れる為にはどうしていくか?やっぱり、ラッパーは曲作るしか無い。たくさん曲作って、練習して、それで “EverydayIsFlyday” を作って。

– 今回アルバムから3曲が MVになって Youtubeでも見れるけど、その中でも “YRB” は映像も際立ってインパクトがありました。あの曲はどういった経緯で出来上がったの?

これはBARで働いてた時、色んなのをチャンポンしてベロンベロンになっちゃったんですよ。で、トイレで潰れちゃって、朝起きたらソファの上にいて、何やってんだろう?ってなりながらめっちゃ幸せで。多幸感ハンパなくて。トイレで潰れてるときも夢見てたんですよ、売れてる夢ていうか、、それを書いたんです。映像もAUTOMATICさんと俺でパソコンいじりながら作りました。
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ジャケの “AKIRA” っぽい雰囲気のアートワークも最高でした。”AKIRA” 好き?

“AKIRA” の感じにしたのは年上の人達も聴いてもらえるように、ってのがまずあって。”AKIRA” の4巻の表紙が元なんですけど、それが地元土浦の旧港の風景に似てるのもあったり、、「俺たち優良不良少年だぜ!ヨタヨタのジャンキーども!」みたいな。金田すげえアツイじゃないですか。あのキャラと自分をリンクさせたいっていうのもありましたね。
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– それがファーストアルバム “EverydayIsFlyday” として、今年の5月に発売したんだ。

はい。それから6月、7月って東京でライブが増えてきて、ちゃんと生活していかなきゃいけなかったけど、お金も無いのに見栄はって洋服買ったり奢ったり、色々溺れちゃって、、。なんだかんだで私生活が全部ゼロになっちゃったんですよ。
支えるものも、仕事も無い、お金も無い。その時に見栄はって買った物とかは全て売ったりとかして。残ってるのは親父の形見と、自分で買った指輪、あと婆ちゃんからもらったネックレスぐらいで、そしたら何か吹っ切れて、、。

– それが今の “Ryugo Ishida” の新境地、なんだね。
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そこからライブの仕方も変わったし、自分が何なのか分かるようになって。
今回のアルバムは青春時代の全てを集約していて、今の自分はそこから更に何も無くなった自分なんです。”EverydayIsFlyday” は過去の自分で、今その次元に自分はいないというか、、。こういう内容のアルバムは今作れないし、今まで DUDEって言う名前でやってきてて、このアルバムを出すタイミングから死んだ父親が付けてくれた名前、本名の “Ryugo Ishida” で勝負していこうって思ったんですよ。

夢は常にでっかく持ってたいし、本気でグラミー賞穫りたいし、世界で通用するような音の気持ち良さを追求して行きたいって思ってます。この次で今のRyugo Ishidaがどんなのかもっと分かるだろうし。
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– それが今の「ゆるふわギャング」の世界観へ繋がって行くんだ。最近聴いてる好きな曲とかは?

lil yachty、名前もヨットからきてるらしいんですけど、水っぽいイメージが多くて好きですね。そういうのも吸収しつつ、俺色に変換出来たら。山も海も好きだし、テクノとかハウスとかのエンドレスな感じも凄い好きだし、、そういうのも混ぜて行きたい。常に踊らしたいんですよ。
あとブルーハーツ、北野武の「浅草キッド」も凄い沁みるんですよね。T-BOLANも好きだし、、。椎名林檎の「私生活」って曲の歌詞とかもトバされたし、小沢健二も最近聴いたり、、ゴイステ、、GOING STEADYとか。青春ものも好きで、、常に青春してたいなって。
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– 今この瞬間もピークアワー、人それぞれピークアワーって色々あると思うんだけど “PEAK HOUR” っていう言葉から何を連想する?

今は彼女といる時間ですね。一緒に共有できる時間が凄い幸せだし、大事なんですよね。俺の中で太陽ですね。彼女がいるから成り立ってるんですよ。音楽も最近良くなってきたし「愛の力こんな凄いんだ!」って思って。
好きだからやってる、好きな事しか出来ない。好きな事いっぱいあるし、好きな事だけやってたいんですよ、それが楽しくて、そうすると好きな事で色々見えてくるっていうか。音楽が好きでずっとやってきて、今はお金は無いけど幸せだし、支えてくれてる人達がいるからこそ出来てるものだと思う。
やってるからこそ泣かせてきた人達もいるし。全てが当たり前ではない、生かされてるというか、自然に対してもそう、何においても感謝する気持ち。それが無いと悲しいじゃないですか。そういう事をもっと伝えて行きたい。
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霞ヶ浦に隣接する地元の旧港は昔からのチル・スポット。
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– 今日はありがとうございました!!次には「ゆるふわギャング」としてのアルバムや様々なプロジェクトもあるみたいだし、今後の動向も楽しみにしてます!!(握手)
その他、最新の情報等は下記 ツイッターのアカウントを是非チェックしてくださいね!!

<Twitter : Ryugo IshidaAUTOMATIC

 


● CDプレゼントのお知らせ
10/16 ~ 10/23までの期間内に、今回のRyugo Ishidaのインタビューや映像等を観た感想をinfo@peakhour.jpまでお送り下さい。抽選で3名様に Ryugo Ishida の1st アルバム “EverydayIsFlyday” CDをプレゼントします。
※メールの件名に<Ryugo Ishida 感想> と、当選した際に送付する宛先、氏名を必ず記載して下さい。当選の発表は発送をもってかえさせて頂きます。


 

PEAK HOUR!!

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