VULGAR from illeffects interview

  2019年10月最後の土曜日。歌舞伎町から程近いビルの隙間から漏れてくる、大音量の音楽。更に歩み寄ると路上にはDJブースが置かれていて、奇抜なファッションを纏った強面のDJが、時には踊りだしながら、軽快に曲を繋いでいく。傍らにはFREEのテキーラ・コーナ一もあって、通りすがりの様々な人達がぞろぞろと群がり、皆それぞれ曲に合わせて踊ったりしながらその場の雰囲気を楽しんでいる。

突如として目の当たりにした光景、それがSTREET STYLEのPARTYを主催するクルー “illeffects” だ。今回はクルーの首謀者でもあるDJの “VULGAR” に、これまでの経緯やSTREETでDJをやり続ける思いなど、色々と話を聞いてみた。

Interview,Text: KANE  / Shooted by Great The Kabukicho

 

– DJをやり始めるに至るまでは、どのように音楽と接していたのですか?

小さい時から家ん中ではずーっとJAZZ, FUNKとかROCKが流れてて、自然にそういうの聴いてたすね。

小学生の頃、音楽にハマる前からウーファーが好きで。逗子に米軍の街があるんすけど、そこから爆音で車が出てきたり、横須賀に映画観に行ったりした時、そこら辺の店からドゥーンドゥーンってなってるお店とか車とかあって。「ドゥーンドゥーンやべえ!」みたいな。で、小6ぐらいでそういう黒人のやってるお店でかかってる曲とか、「この曲はなんなんだ?」って聞いて。CDとか見せてくれて教えてくれるだけど、字も読めねえし目でジャケを覚えて。それでCD屋行って何の曲だかを割り出して、レンタルする。でもそんなに金もなかったし、CD屋にCDラジカセ持ってって店の中で聴いてましたね、店の中で聴いて終わり、みたいな。そうやってハマっていきましたね。その頃は “HIP HOP” っていう単語もまだ知らなくて。アルファベットも記号に見えるし。

中2で初めて新品で買ったCDがNASのStillmaticっていうアルバムで。もう嬉しくて、カセットに移して、家に小さいラジカセあったんで、それを自転車に括り付けて走ったりしてましたね。周りは洋楽のHIP HOP聴いてなくて、俺1人で凄い好きだったんすよ。その頃、何でも違法ダウンロードしてCD-Rにしてくれる先輩がいて、夜中にやってたTVのTOP40みたいな番組でチェックした Snoop Doggとか Cypress Hillの曲を先輩のトコ行ってCDに焼いてもらったりして聴いてましたね。周りは俺の事ヤンキーみたいに扱ってたけど、自分ではそう思ってなかったし、喧嘩も好きじゃないし。色んな範囲に友達作りたいと思ってて、他の学校の正門の前行って派手なヤツとか可愛い女の子に話しかけるみたいな。そうやって友達は出来たんだけど、中3のある時期になると急になんか揉めるみたいな。~中と~中のアタマ同士がタイマン、みたいのが始まるんすよ、地元の伝統なのか知らないですけど。仲良かった別の中学のヤツが突然「おいこのヤロー!」ってなって「え?これ何だろう?」みたいな。

– すごい社交的というか、勢いがありますね。

何だったかよく解らないけど、じっとしてらんない、みたいな。そうゆう事も一人でやってたんで。一人で行くか、たまにパシリみたいなヤツ連れていったり。中3の時とか隣の中学でASSASSYN着てるヤツとか、B-BOYファッションしててDS455とか聴いてるヤツとか仲良くなって、DS455もそいつが教えてくれて。カラオケにもあったすね。チャンプロードと平行してCUSTOM LOWRIDINGってゆう雑誌も読んでて、B-BOYファッションはヤン服でもあったすね。中1終わり位からロン毛にしてピアス開けて金髪、太いズボン履いてB-BOYファッション!みたいな。PLAYAZの服とか着て、69とか書いてあって「これイカついべ~!」、「これデカくていいべ~!」みたいな。

高校に入る前に突然チカーノファッションに目覚めて、スキンヘッドにしちゃって、チェックシャツにチノパン、ロークみたいな。その直前まで頭ピンクにしてたんですけど。気合いを入れようって事で。高1の頃友達が横須賀のHIP HOPファッションの店で働いてて、それ経由でHIDEミュージアムでやってたFROSTの来日ライブに行ったんすけど、雑誌で見た事ある日本のラッパーも沢山出てて、その中でも感覚的にPHOBIA OF THUGがカッコ良くて本格的にウェッサイシーンにハマっていきましたね。

その半年後に横浜のBRIDGEでDJ FILLMOREさんのイベントがあって、初めて自分からクラブに行こう!ってなった時で。ちょうどその頃からIDチェックが厳しくなった年で、その時はなんとか入れたんだけど、すげー楽しくて俺もハイになっちゃって。見たことあるアーティストに片っ端に挨拶して。で、次のイベントある時にオープン前から待って、荷物持つの手伝って一緒に中入って。だんだんレコード持ち、みたいになってきて。早く行かなきゃ行けないんですけど、関係者のふりして中に入る、みたいな。そうしないと入れなくて、、そうやってイベントも行きまくってましたね。で、高3くらいかな?クラブでの友達も出来て、そいつらとC-WALKのクルーを3人で組み始めて。1人アタマがいて、俺とタメのヤツもう1人の3人で青ギャングみたいな。その頃はDJ GOさんのイベント行きまくってC-WALKをしまくる、みたいな。LOOSE NIGHTとか。首都高でビール飲みながらバイクで行って。「上げてこー!」みたいな。その流れで「DJやろう!」「DJかっこいい!」ってなっていきましたね。

高校卒業した年に働き始めた頃、ローン組んでターンテーブル買って、DJも皆で練習したりしてたんですけど、20歳になるチョイ前、ある日家に帰ったらターンテーブルとか色々無くなってて、、多分なんか恨みを買って盗まれたんでしょうね。それをクルーのリーダーに電話したらすげえブちぎれられて。「何なんだろこれ?なんか嫌だな、、」ってなって、そこ引き払ってバッくれたんですよ。友達の高円寺の近くの家に転がり込んで、そこで一応身を伏せてる状態だからファッションを変えよう、ってなって「ああいうノリもうんざりだ、こんな服着たくねえ!」って。細身のリーバイスとか履いてロックTとか着て。高円寺っぽい、、そういうノリに急にチェンジして、ハーレーとか欲しいな、みたいな。

– 節目節目でファッション的にも突然変わって行くんですね。

でも、結局どんな格好しててもHIP HOPが好きなんですよね。夏にバッくれて冬にはDJやりてーな、ってなって。その頃はパソコンでDJする事をすげー否定してたんすよ。俺もレコードとCDでやってたし。でもパソコンならすぐ始められる、ってなって。TSUTAYA行ってCD借りてきて入れちゃえばいいんだ、って思った日の夕方にはヨドバシカメラ行ってカード切ってパソコン買って、そのままその足で楽器屋行って、ローン組んでターンテーブルのセットとスクラッチライブを買ってミキサー買って針買って、、一気にまとめてローン。「やったろう!!」と思って。

転がり込んだ家からも数ヶ月で引っ越して練馬に行ったんですよ。練馬なら駐車場も安いし、音楽をやるなら車も欲しい!ていう理由で車も買うんですよ、セフィーロ。その頃はホントにたま~に友達のイベントに出る、みたいな。練馬で暮らし始めてから、またC-WALKやってたクルーの奴らと会わなきゃいけない、っていう話になっちゃって。ちょうどその頃に、部屋の物盗まれた時の犯人を俺が見つけて、そいつを詰める話だったのが、、そいつ不良にチクっちゃって、クルーのヤツのとこに不良から連絡きて、、。結局、俺が話つけに行ったんすけど、色々因縁付けられて。すげえ吹っかけられたり、詰められたりして、、東京居られねえな、めんどくせえ、ってなってまた飛ぶんですよ。

今度は茨城に。そこから茨城は3~4年ですね。機材はあったけど、東京とか遮断されたからどんどん普通の生活になって行って。DJで現場に出れないし曲作りをしよう、ってことでMPCとか買ってみたけど思うように作れなくて。そういうグダグダを3~4年。最初は普通に仕事してたんですけど、ちょうど脱法ハーブが流行り始めてて、脱法ドラッグ屋で雇ってもらって、、気がついたら店長みたいな。そこにDJブースとか持ってきちゃって一日中DJやりながら脱法ドラッグやって、売って、どんどん売り上げを伸ばすみたいな。でも取り締まりがきつくなってきて、お店を畳む羽目になって。この場所をどうする?ってなって、知り合いの彫り師さんのタトゥーショップと、何か俺の店をやる事になって、全然脳も無いんだけど洋服屋をやる、ってなって。でも全然洋服売れなくて。金もないし、、。ちょっとお金入ると脱法ドラッグ買うんですよ。なんかもう最悪で。23~24歳くらいの頃なんすけどどん底、みたいな。その頃世話になってた人が東京で建設業やってて「ウチこいよ」って言われて。内心すげえ嫌だったんだけど、金も無いし背に腹は代えられない、って事で又東京に戻るんですよ。世田谷だったんですけど。

それと同時に、またクラブとかちょいちょい行くようになるんですけど、東京戻って来てもだらしない感じは抜けなくて、脱法パウダーみたいなのハマっちゃてて、、速い系なんすけどヤバいんすよ、あっという間に朝になっちゃう。それで歯も無くなっちゃって。歯溶けちゃって。それでもひたすらやっちゃてて。で、そのうちコソコソやるようになってきちゃって、、。誰にも言わない。周りは気付いてるけど。クラブの中で熱くもないのに、1人だけ汗びっしょりだったり。でも仕事もしんどかったし、脱法系も段々やらなくなって、、気がついたら辞めれて。自然に辞めれましたね。「こんなのダメだ!」ってなって。もう無いすね。

それからちょっとして事故るんですよ、バイクで。膝潰れて足ぐちゃぐちゃに骨折してスネから変な方に曲がって。仕事してたけど、またそこで生活が変わるんですよね。一ヶ月で退院はするんですけど松葉杖で仕事もできないし、急に暇になって。スクーターだったら足折れてても乗れる、っていう事でバイク速攻買って。今も乗ってるヤツなんですけど。それで渋谷とか意味もなく行って、金がマジ無いから座って音楽聴いてる、みたいな。小さいスピーカーで。今も一緒にやってる、MATATABEATとか、もう1人のつるんでたヤツと、何か外でやりたいね、ってなって。最初、渋谷のモアイ像の前でiPhoneに小さいスピーカー繋げてMATATABEATの路上ライブをやろう!って事で自分達で始めたのに、やってみたら全然面白くなくて。俺はただiPhone押してるだけなんすよ。足折れたまんまなんすけど。「これじゃつまんねえし、台も持って行ってDJもやってさ、ブロックパーティーみたいなさ、、」って話して、それで始めたんですよ。まあ暇だったし、MATATABEATもライブするタイミングが無いって状態だったんで。

– それが “illeffects” の始まりなんですね。

俺がDJでトップをはってるクルーで、MATATABEATはラッパー、TMKはパーカッションプレイヤーですね。”illeffects” は悪影響っていう意味で。人から人への悪影響とかじゃなくて、地球規模の温暖化だったり、水質汚染による魚の大量死とかそういう規模の意味なんですよ。気がついたら大変なことに巻き込まれちゃう、みたいな。

 

最初は代々木公園でやり始めたんです。日曜日にロカビリーの人達がやってる場所があって、その場所で半年くらい続けた頃、2015-2016の年越し間近だったんすけど「カウントダウンやっちゃおうよ!」ってなって。それまで客が1人とか2人しかいない中でやってたんで、何も期待してなかったんですよ。で、23:30くらいから渋谷のドンキーの前あたりで始めてみたら、どんどん人が増えて、、。いつもは自分のテンションも低かったから、曲のテンションも低かったんですよ。でもその時はすげーハッピーな状態だったから、それまで自分でもやった事ないような、色んなジャンルの俺の中でのアゲ曲を混ぜて、朝の4時くらいまでやって。遂には車道にまで人が溢れるくらいになって。「地球!」みたいな。「全人種いる!」みたいな。老若男女いて、横のホームレスはインド人と一緒に踊ってるし、目の前で土方の恰好したフィリピン人がブース倒れないように見張ってくれてるし。全部いて。とにかくいろんなジャンルがいるんですよ。

そこから何か変わっちゃって。いきなしアゲる、みたいな。その時に今のスタイルを確立しましたね。踊りながらDJするし。それまでは金髪だったんですけど、、カウントダウンの時からですよ、初音ミクの髪の色いいな、ってなって髪の毛も緑色にして。見た目もカッコ良くしてかなきゃ、ってことで年開けてすぐDJブース買って、小さいテーブルじゃひっくり返っちゃうし。スピーカーも地面においてたんけど、台に置こうってなったり、、。それをやりだして何となく今の形になってきて。

その頃は日曜日の夕方くらいから、渋谷のあちこちでやってましたね。でも全然盛り上がんなくて。あんなに盛り上がったの、カウントダウンだったからかな?って思ったんだけど、、冷静に考えたら土曜日の夜やれば盛り上がるんじゃないの?ってなって。土曜にやってみたらまんまと盛り上がって。カウントダウンの再来、みたいになって。それで2016年の春くらいから、土曜日、月2回ってなりましたね。

盛り上がりそうだし、その年のハロウィンもやろう!ってなって。そこで初めてモデルをやるキッカケがあって、たまたまパーティの中にいたファッション関係の、パリのブランドのデザイナーで。ウチのモデルをやってくれって話になって、それのサイトとかに出たら急にファッション関係みたいな友達とか知り合いが増えてきて。未知の世界で。「とにかく服高いな!」って。それがあってから色んな国のやつから「モデルをやってくれ」って来るんですよね。アルゼンチンもあるしフランスとか。「ウチのブランドのパーティーでDJして欲しい」とか。それはそれで面白いからやったりして、、。そのうち訪ねてくるヤツも現れ始めて、「NYで友達に話聞いて来たんだ。」とか、俺の知らない間に噂が回ってるみたいな。ライブしたい、ってヤツも現れ始めてアメリカとかスウェーデンとかのラッパー来てライブする、っていう事も取り込んでいって。

– 展開がワールドワイドですね。今も渋谷でやるんですか?

いつもやってた渋谷の場所で2018年の終わりくらいに連行されて。そのころには結構バチバチだったんで渋谷警察。警察でも俺を知らないヤツいない、俺=DJ、みたいな。挨拶しにくる警官もいて、平日に歩いてるだけなのに、「あ!DJの!今度クラブとかでやらないんですか?」って。そういうの好きなお巡りもいるんで。でも逆に違法駐車取り締まりとかローライダー取り締まりとかの時はお巡りも俺の事見ただけで分かるから、お巡りが俺から離れない。パーティ始めようと思っても、道路の反対側からずっと見てて、荷物おろそうとするとピピピピー!って笛吹かれて。2時間待ってやっと始めるとか、結構末期になってきて、、限界、みたいな。バンドのヤツとか駅前でライブしてるヤツがパクられたりもし始めて。

これめんどくせえなって。そろそろ違う場所に侵攻しようと。それで今年の頭から新宿に変えて、今の場所で始めて、2020の1月で1周年。6月でilleffectsやりはじめて5周年ですね。同じ場所で旗とか立ててるし、勝手にやってるだけなんすけど、謎にオフィシャル感でてきちゃって、まあそういう勘違いは多いにして頂いて、みたいな。

– そもそも “illeffects” の存在を知ったのは、”NFK” のゲリラライブ告知があって見に来た時がキッカケでした。Googleマップ見ながら来てみたら、新宿のビルの隙間にDJブースがあって、緑色の髪の凄い雰囲気のDJが爆音で音楽流して踊ってて、、どんな感じでライブが始まるんだろう?って思ってたら、そこにNFKのバイク集団が現れてライブして、、ライブも凄い勢いで10分くらいで終わってその後もDJパーティーが続いて、、っていう展開があまりにも衝撃的で「新宿のど真ん中で何だこれは!?ヤベえ~!!」ってなりました。VULGARさんは “illeffects” とは別に “NFK” のメンバーでもあるんですよね。

そうですね。世田谷界隈に住んでた頃、俺が適当にチャリンコ走ってたら「こんちわ~!」ってCPWってお店の前でNFKのモトヤンさんに話しかけられて。なんかすげえお店だな、って思って。そこからちょいちょい挨拶したり、お店溜まったりするようになって。それまでNFKとかCPWって全然知らなかったし、オレにとって全部新しい世界でしたね。そういう感じで影響されていったすね。

– 新宿のブロックパーティーも絶妙な場所ですよね。ど真ん中だけど隙間、みたいな。DJって言うとクラブだったりバーで回すイメージがあるんですが、路上でやる事へのこだわりがあるんですか?

今の場所も見つけるのが大変でしたね。すげー歩きましたね。”DJ” って言ったらブロックパーティーだし、俺DJ Kool Herc大好きだし、究極を突き詰めると”STREET”しかない。ドラッグ売るとか、クラブでシャンパン開けるとか、そういうのがSTREETみたいに言われたりするけど「そいつら見た事無えけどな、ココにいるぞ、俺!」みたいな。「ストリートいるなら俺の事も知ってるでしょ?それがストリートでしょ?」みたいな。いろんな”STREET”の定義があっていいと思うんすけど、、渋谷にいるホームレスとか、行く宛も無くほっつき歩いてるヤツとか、スケーターとか、BMXライダーとかがその辺で遊んでて、、それこそがSTRRETでしょ!って思うし。

路上でやってると「そこから有名になれるといいね!」とか、言われたりするんですけど、「いや、別に、、よくないよ!」みたいな。DJがフロアーの王様!ってうイベントあるじゃないですか、高いトコにいて、人が豆粒みたいで。あんなの出来ねえよ、って思うっすね。もっと同じ目線がいいし。俺が出て来たら皆がiPhone!みたいなの超嫌だし、そういう現場はクソ寒いすね。

最初にやったカウントダウンの時も車椅子の人いて、体も麻痺してて何言ってるかも分かりづらいような。でもなんか楽しそうにしてたし、俺も朝までやりきって終わった後に、一番にそいつに話しかけにいったんすよ。そしたら「クラブとか行けないけど、こういう音楽は大好きだ!で、ずっと居ました」っていう風に言ってて。うお~!ヤベえな!って。もう、そんとき泣きそうになっちゃって。横にホームレスのおっさんもずっと居たし、こんな楽しそうにしてんだ!って思ったし。印象深いのは、「死のうと思ってフラフラしてたんだけど、君たちの事見て、考えて、どんだけ馬鹿臭いか分かったよ」って言ってくれたおっさんがいて、、ポケットから有り金全部出してきて「これで何か食べなよ!」って。で、5分後に戻って来て「1000円だけ返して!」みたいな。家に帰る事考えてくれたんだ、っていう。良かった~、って思うっすね。その後、その人ともFacebookで友達になって、今も元気にやってるし。皆、クラブに居るような人達じゃ無いんすよね、雰囲気的に。何を探してた訳じゃないけど、見つけた!って顔してるんすよ。そういうのがどんどん後押しになっていって。色んな人に会えるし。ホームレスのおっさんなんかは「救世主だ!」とか言ってくれたりして。初期の頃から来てくれてるワタルちゃんもバスロータリーに住んでて。携帯も持ってないけど、その仲間とかもいてどういうネットワークだか知らないけど、「八王子から来たよ!」って言う人もいたり。渋谷でやってた頃は、宮下公園の脇でパーティーやってたから、あそこら辺に住んでるホームレス結構友達になって。宮下公園再開発でみんな散っちゃったんですよ。携帯も無いし分からない、そういう人達も来るんですよね。そういうのがどんどんやり続ける理由になっていくんで。サプイラズをしたいですよね、街に。それがやっぱ一番いいな~って。

– 慈悲深いですね、、。

でもまあ、遊んでるだけなんですけどね。だからDJやっててビジネス的なビジョンとか夢とかある人、凄いと思いますね。この先はこうしていきたいとか言うじゃないですか。DJで凄い忙しくやってたり、仕事として稼いでる人もいて、凄いんだけど、、なんか事務が凄い人にしか見えないんすよ。事務作業が凄い人を、皆がiPhoneで撮ってるように見えちゃって。ホントごめん!そう見えちゃう!みたいな。既存のクラブDJっていう人達からしたら、完全にナメてる野郎なんですけど、、俺はクラブDJじゃないんで。俺はこうしてたいんだよ、ってだけなんで。こうしていたい、をどれだけ良くしていくか。だから別の手段で金稼げばいいし、金が稼げればどれだけパーティーを良くするか、みたいな。それはもう単純に良いスピーカー買うとか。でもスピーカー増やしたり大きくしたい訳じゃなくて、今やってるぐらいの範囲でより良く。

機材以外でももっと色んな酒を配れるとか、定期的にパーティー来るヤツ居たら飯食わしてやったりしたいし。その場だけでも温かい飯食えれば違うすからね、ホームレスになれば温かい飯食えないヤツいっぱいいますから。最高じゃないですか?音楽流れててフリーで酒飲めて、、。今はテキーラだけなんで、ゆくゆくはもっと出していければ良いと思ってるし。

– 商売としてやってないと、色々と出費も大変そうですね。

そうっすね、超貧乏。チップとか入れてくれる人も居るけどまあ全然足んないし。だからといってチップを増やそう、っていう努力とか一切しないし。

国内で人気無くていいんで。有名になると、どうしてもみんなiPhoneくんiPhoneちゃんになっちゃうんで。路上ライブでHIP HOPやってるヤツもいるんですけど、まあ大体そうなっちゃってますよね。だからメディアとかは大体お断りだし、TVとか言い出した瞬間に断るっすね。雑誌も来たすよ、「記事にしたいんですけど、次いつやるんですか?」みたいな。で、「有る事無い事書くじゃん、ヤダよ」って言っても「有名になれますよ!」ってくるから「有名になりたくてやってんじゃねーんだよ!」って。そんなの余計な事にしかならないし。

ネットとかでも皆が出てるようなHIP HOPメディアとかあるじゃないすか?そういうとこは絶対に出たくないすね。メディアアレルギーみたいな。ホント、勘違いされるんですよね。路上でやってるから「有名になりたい!」「ココから先、ココを抜け出してどんどん有名になりたい!」みたいな思われてるんすけど、、そりゃ金持ちにもなりたいし、イイ車にも乗りたいし。でもその為に自分のパーティーを切り売りして、やりたくない事したくないし。もちろん稼ぐのは良い事だけど、稼がなくても良いじゃないですか。だからこれで稼ぐ事に必死にはなりたくないかな。

行く末はなんかそうゆうパーティーにふれあう機会が無い所、、施設とかで、子供達だったり障害者だったり、求める人が居て、場所があったらそういう所でもパーティーやりたいですね。ボランティア精神がある訳じゃないんですけど、、昔から遊び行ったりしてたんですよね、障害者施設とか。こうゆうの好きな人、色んな所に居ると思うんですよ。

本格的にどんどん本当の意味でストリートで知られていったら、もっとでかい炊き出しとかもやりたいし。代々木公園でも鍋とか作ってるんですけど、たまたま来たヤツにも振る舞うし、ホームレスの人達も実際喜ぶから、そういう人達にもっと広まってほしいですね。凄い小規模ですけどね。俺たちも楽しいし。身の丈でなるようになっていけば、俺らもやれる事やっていくし。

– これからも路上のパーティーで何が巻き起こるのか、楽しみにしています!!

常に今が楽しいっすね。後退が無いんで、今のところ。この先も平行で、上に上がって行くとか無いかもしれないですけど。毎回楽しみだもんな、次にパーティーやるの。毎回違いますもん。その時にならないと俺も分からないし。

 

PEAK HOUR!!

→PEAK HOURストアーページ

「平成エクスプレス」 刺繍キャップ 予約受付中!!

平成最後、ノリキヨのニューアルバム「平成エクスプレス」リリースを記念した刺繍キャップです。

カラーバリエーションは全4色、フロントと左サイドに刺繍が入ります。

「平成エクスプレス」 刺繍キャップ ¥5,000+税

<予約期間> 2/10~2/28 ※商品は予約期間終了後の生産となりますので、発送は3月中旬になります。

’深みあり危ないよ!’ ケイパくんソフビコレクション #2 新発売!!

昔から全国各地の河川に生息していると言い伝えられている妖怪、、「河童」をモチーフにした愛嬌たっぷりのゆるキャラ妖怪「ケイパくん」ソフビ、、第2弾が発売します!!

今回発売されるモデルは、クリスタルブルーのケイパくん。それに合わせた色のヘッダーと、袋の底部には白の吹き付け塗装を施し、まるで冷凍庫から取り出したようなヒンヤリした雰囲気♪

夏の錯乱、、残暑の季節に「深みあり危ないよ!」それはケイパくんからの意味深なメッセージ!
.

深みあり危ないよ!ケイパくんソフビコレクション #2

¥4,800(税込価格)
.

<予約期間> 8/12(土)~8/20(日)

<発売日> 8/26(土)

※下記ウェブストアー2店舗にて予約受付中です。

http://store.peakhour.jp/

https://bergfine.theshop.jp/
.


.

.

.
.

PEAK HOUR!!

.
.

あいちゃん from Burlesque東京 INTERVIEW

今回インタビューで登場するのは、、「目指せ!おっぱいで世界平和♥」がモットーの「あいちゃん」です!夜の六本木、バーレスク東京を舞台にショーガールとして活動する、大きなバストと屈託のない笑顔が印象的な彼女に、知らず知らずのうちにお世話になってる男性諸君も多いはず、、。それは一体どういう事?破天荒でありながらも一貫した姿勢を貫く熱い女、そんなあいちゃんに色々とお話を伺ってきました。それではいってみましょ~!!
<Text&Shooted by KANE>


あいちゃん × PEAK HOUR
.
あいちゃんは小学生の頃はどんな子だった?

 (※以下太字 / あいちゃん)

おてんばで外で遊ぶのが好きで、、中学校2年くらいまでペチャパイでチビだったから、結構すばしっこい感じの子でしたw
.

.
元々横浜が地元だけど
幼稚園から小学校5年くらいまでは千葉の鎌ヶ谷って所に住んでて、結構自然もいっぱいある所だったから男の子とも普通に鬼ごっこしたりして遊んでました。それからまた横浜に戻ってきて。物心がついた頃から桜木町のガードの絵を見るのも凄い好きだった。

– 中学生になってからどう変化したの?

住んでたのが横浜の黄金町とか日ノ出町とかあの辺に近い所だったから、、街柄っていうか、道端でたむろしてやたら鼻筋に白いライン引いてたり。EGG (当時流行ったギャル雑誌) が流行った後、名残の時代だったからそういうメイクに憧れて、みたいな。
中2で生理が来てからいきなりオッパイ大っきくなってきて。ペちゃんこだった胸が一ヶ月でBカップになって、そっから毎年、、中3でC、高1でD、E、F、G、H、、で、二十歳までの間に Iカップにまで達して。一回21歳でJにまで達して、今は痩せて I にまで戻ったw
中三で高校の進路決める時に、勉強は嫌いだったし「何で高校行かなきゃならないの?絶対行かない!」とか思ってたんだけど、じゃあ何したいいんだろ?将来?って思って。
いきなり中2でBカップになって下着屋さんに初めて買いに行った時、店のおばちゃんに「何でこんなサイズになるまで下着買いに来なかったの!」って怒られたんだけど、、お母さんを小6の時に亡くしていたから、教えてくれる人いなかったし、その時はむかついたな、、。で、そこから下着を着けるようになって、下着の事色々調べたらワコール (大手下着ブランド) が日本ではNO.1ってなって。更に調べたらワコールで働くと3年から5年の間で全ての部署を回れるらしくて、全てを学べるのがいいなって思って。
ワコールに行くしか無いな、って思ったんだけど採用条件が大卒で。あたしが大学なんて無いって思ったけど、ワコールの推薦枠がある大学、京都造形大学を見つけて。絵を描くのは好きだったし、高校もデザイン科のある高校を受けて、、優等生ではなかったけど高3の夏には入りたかったその大学にAOで受かって入学も決まって。

– 中3の時からワコールへの入社を考えて計画的に動いてたんだね。

そこまでは自分の決めた進路をきれいに組み立てて行ったんだけど、、。高校に入ってからは当時の彼氏と元町の “BRIDGE” にダンスのイベントみたいので行ったのが初めてのCLUB体験で “Bodega” っていうCLUBも近所にあって、夜に親には「ランニング行ってきまーす!」とか言ってウインドブレーカーの下にホットパンツとか履いて、平日の0時回る前の1時間くらいスピーカーの前にいる、っていうのがクラブ遊びのスタートだった。
当時は友達と横浜駅の西口側にある駐車場に溜まるのが日課になってた。今思うとホント軽卒だったんだけど高2のある日、彼氏と別れてヤケクソになってた時、溜まり場から家に帰る途中、通りがかりの車にナンパされて車乗り込んでその人について行っちゃって。私も一人で相手も一人だったんだけど、、場所がどこだか分からないような、だだっ広い駐車場連れてかれて。途中飛び降りようかと思ったけどそれも怖くてできなくて。私が泣いたら相手は躊躇もしてたけどレイプされて。暴力的ではなかったけどグイグイこられて私も諦めて、、。
1~2時間で解放されたけど、、その時に女って不利だなって思った。私は「女として、男に負けない女になろう」ってその時に強く思った。男と対等にやってやろう、じゃなくて「女」を使ってやろうって思ったの。その事件が、私の根源にあると思うし、今も女だから出来る仕事をやってる。
高校卒業した後はワコールの推薦枠がある京都造形芸術大学行って、その頃にSNOOP DOGとか黒人文化に感化されて髪型アフロにしたら、居酒屋とか飲食店で働けなくなってw
どうしよう?ってなってた時にクラブに遊びに行ったら店長に「おまえ面白いな~、うちで働かへん?」って言われて、そのクラブでバイトしながら大学生して、家賃とか最低限の生活費は親に仕送りしてもらっていたけど、結構画材とかでお金かかったりでカツカツだった。
学校の授業でもあたし凄い生意気で。高校の時にデザインの事も学んでたから、初めたての他の子達よりは出来るじゃないですか。そういうのもあってあたし態度が凄い舐め腐ってて。それで適当にやるようになっちゃって単位落としたり。他にも色んな事が重なり、、大学も結局途中で辞めちゃって。

– それが20歳になったくらいだ。目標も無くなった先でどうしようと思った?

人生初の挫折、、。その後横浜に戻ってきて何するか決めてなかったから、半年くらいめっちゃ安いキャバクラで働いて、ノリでやっただけだったし、150万くらいそこで貯めてそのお店も辞めて。貯めたお金が無くなるまでプータローやって。
.

一番上があいちゃんw
.
使い切る時に「これから何をしよう?」ってなって。ちょうどその頃、神田うのがストッキング販売してそれが凄い流行ってて。神田うのは足が奇麗で「ストッキング」なら、あたしはオッパイが大きいから「下着」みたいな流れに持って行けるような立場になれたらいいな、って思った。
それで佐藤江梨子 (当時人気のあったグラビアアイドル) が好きだったから、所属事務所のイエローキャブも調べたんだけど募集要項とか何も出てこなくって、、。でも芸能人になりたいとかタレントになりたいとかそういう考えは元々無かったし、、「じゃあ、AV女優??」って。その方が短いスパンで名前も売れるし、あたしSEX好きだしw いいじゃん!!ってなって。
その頃渋谷のCLUBによく遊びに行ってて、街歩いてると凄いキャッチとかされるから、ある日キャッチのオヤジに声掛けられた時に色々話を聞いて。案内された事務所で面接して、オッパイが大きくて有名な女優さんも在籍してる事務所で。じゃあココに入ろう、ってなったんだけど、、色々あって、、結局そこの事務所は断って、自分で探して人づてに紹介してもらった事務所に入って。

– そこでAV女優としてデビューを果たすと。
.

.
そう。2009年の6月に「鈴香音色」っていう名前が出来た。まだ芸名が決まってないっていう事で面接に行った時に、音が好きとかそういう流れで「鈴香音色」っていう名前に決まって、、いい事務所だったから嫌な思いとかはなかった。
私は2年で辞めるって決めて始めて。女優業はダラダラ長くやっても、、あたしは売名で名前を世に軽く出すっていうのが目標だったから。でも2年経つ頃に事務所に仕事干されて「そんなんで辞めれんの?」みたいに言われて「まだ続けます」って言ったら半年くらいの内に普通に仕事量戻ってて、、これイジメられてた、って思った。で、パッと「じゃ、辞めまーす」みたいな。それから引退作出して、やめた。
トータル、、2年半の間で単体で、再販みたいなのも入れて100シリーズくらい。人数物だったり企画物で200本くらい。

– 初撮影はどうだった?

以外と緊張しなくてw 緊張は多分してたと思うけど、始まったら「カメラマンさんこういう風に動くんだ、、」とか見渡しながら、後はされるがままで。男優さんも色んな配慮をしながらこなすから「男優さん、すげえな」って最初に思った。SEXうめえなって言うよりも、AV男優って職業なんだなって思った。
初現場の時はシミケンさん (AV男優) 。エロの現場なんだけど、撮影だから照明さん、メイクさん、監督、ADとか全部いる環境だし、ほんとドラマの撮影みたいで。

– およそ300タイトルって凄いよね。実際にはどのくらいの現場数こなしてるの?

200現場は確実にこなしてると思う。マジで一週間の間に4本ぐらい仕事入ったりした時は、それこそマ○コが切れちゃって泣いた。もうヤダ、したくなーい!って。でも、おかげさまで今は下ネタで入れないネタとか無いレベルで喋れるし、一通り経験してる感じ、何か色んなw くだらないのから王道まで、、スカトロ、ハードSM、アナルとかは、NGだけど。
あと私レゲエ音楽が好きで、レゲエは同性愛を許さない文化だからレズもNGにしてたんだけど、一回だけ「小坂めぐる」って言う女優さんがすっごい好きで、ちょうど小坂めぐるさんが引退する頃でやらない?って言う話が来て、あたしと小坂めぐるさんともう一人、女三人で絡んだ。
好きな女優さんだったし、憧れの先輩みたいな感じだったからすごい緊張した。男の人とやる時も映り方とか技はあるんだけど、そういうのを生かしながら、お互いを綺麗に魅せるっていうのを意識して。
AVの現場もすっかり慣れちゃうと、撮影が重なってる時とか隣からガンガン喘ぎ声が聞こえてくる中で平然とお弁当を食べてたりとか、全然気にしないで「あ、お醤油入ってなーい!ヤバ、声だしちゃダメだ」みたいなw 普通の生活だったら考えられない。

– そんなAV女優として活躍した2年半の生活も、いよいよ終止符を打つ事になると。

18の時に地元の「浜劇」ってところに初めてストリップを観に行って、、。子供の頃からそこに在ったのは知ってたし、すごい気になってて、男友達に「どうしても行きたいから」って一緒に行ってもらって観たんだけど、女の人の体がすっごい奇麗で、、。
AV女優からストリッパーになるのがセオリーみたいになってたし、AV女優辞める頃と重ねてストリッパーデビューして。そこからストリップにハマっちゃって。AVは辞めたけどストリップは続けて。
.

.
– ストリップはどこでやってたの?

ストリップは「川崎ロック」デビュー。その後地元の浜劇も出たし。地元で表に垂れ幕も出て。「鈴香音色、来演」みたいなヤツも出してもらったりとか。浅草ロック座も出演させてもらったりして。強面で表情が硬いおじさんとか来るんだけど、わたしがステージで踊った時に笑顔を振りまいた時、そういうおじさんがつい笑っちゃうのとか、ニヤッとしたのを見ると凄い私の中で幸福感、、。一種の快感を感じるな、と思って。
.

.
一番最初に会ってお世話になった姐さんに「5年やらないと踊り子じゃないわよ」って言われて。それで5年やろうって思ったんだけど、、ストリップ三周年の前くらいでお父さんにバレて凄い怒られて。それで勝手に辞めさせられて。
地方営業であちこち行ったりして飲みに行った先で「何やってるの?」って聞かれて「旅芸人です!」とか言ったりしてw すごい楽しかったから、辞めさせられたのも凄い悔しかった。それが25歳くらいの時で。
で、お父さんが「ニューヨークのブランドのバッグの販売権を買ったから、おまえやれ」って言われて、、デスクワークなんか全然やった事ないのに、お父さんの隣でデスクワーク生活を1年くらいやってたんだけど、ホント病んで。私の人生で一番の暗黒時代。その時期が。人と顔を合わせる仕事をずっとやて来てて接客が好きだったけど、その時期は毎日パソコンと睨めっこでお父さんしか顔を合わせない。ああしろ、こうしろ言われるけど全然分からない事ばっかで。
貯金も結構有ったんだけど全部その仕事につぎ込んで底をついてきて、その頃に「こんなんじゃ鬱病になっちゃうよ!!」って言ったら「じゃあ精神病院でも行って診てもらってこい!」って言われて。その勢いで飛び出して診てもらったら、鬱って診断されて、、それが自分でもショックで。「あたしが鬱?!え~!!」ってw でも結局鬱では無かったしw それで仕事も辞めさせてもらって。
お父さんも仕事になる事は色々チャレンジするタイプで、自由にやってる人だけど今は何の仕事してるか分からない。その一件でお互い仕事の話はしなくなったし私も聞かないし。
片親で育ってきて、お母さんに似てる娘がこういう仕事をする事に理解はしてくれてないと思うけど、、でも、とりあえず俺の言いなりには出来ない、ってある程度の諦めはついたんだと思う。

– それからお父さんとは会ったりはしてる?

会うけど普通に実家に帰ってお父さんのご飯食べて、、とかね。自分と似てる所が多くて何かとぶつかるから、あんまり好きじゃないけどすごくリスペクトしてる。

– AVからストリップ、デスクワーク時期を経てどうだった?

ストリップへの未練は今もあるし、お父さんと始めた仕事は今までやった事のない全く違う分野の事だったから、経験としては良かったかなって今は思ってる。でもやっぱり人前に出る仕事がしたい!ってなって探して今やってるのが、六本木にある “BURLESQUE TOKYO“。バーレスクはショーパブのエンターテインメントとして日本の最先端だと思うし。

– バーレスク東京に入った経緯は?

噂を聞いて調べたら、バーレスク東京のオーナーであり演出家、内藤良太さんのブログが出てきて、、そのブログがすげえ熱くって共感できて。ここしかねえ!!って思って。「面接したいです。」って言うのをその日にガンガン書いて送って。自分の今までのプロフィールも書いて、きわっきわのVビキニの全身水着の写真も送って。そしたら向こうも「なんかヤベえの来たぞ、とりあえず入れとけ」みたいになったみたいでw で、面接した次の日から体験で入って、その次の日から本出勤。ポンポンポーン!みたいな感じで、また人前に出る仕事に復帰した。
.

.

@Burlesque東京
.
私、以外と面白い人生歩んでるかも、、。先の事を決めないと進みだせない、何して行けばいいか分からないって子もいるけど、そういう生き方が逆に出来ない。コレッ!って決めないと何も出来ないし何もしないっていうタイプだから。今までも行き詰まった時とか、人生の年表書いたりとか、5年後何してたい、10年後何したいって紙に書いて知って、、自分の意志を確認したりとか常にしてる。

– 未来はどうありたい?

今やってるバーレスク東京も楽しいし、まだ決まってない。ストリッパーへの未練もあるし、アートな事したいし、下着とかもやりたいし、結婚して子供生みたいっていうのもあるし色々せめぎあってるお年頃、、なのかな。
ストリップの先輩の姐さんがいるんだけど、その人は40過ぎててすっごい綺麗で、、旦那さんもいて子供も育てて、そういうのが理想かな。かっこいい。女前というか男前というか。すごく粋だし、裸一貫で人を楽しませるっていう。あたし自身も、そうやって人を魅了させたいな。
.

Full Moon Rave 2017@ageha
.

.

.
– ピークアワーっていう言葉から何を連想する?

気持ちがいい時。お客さんの笑顔をたくさん見れた時。たくさん見れた上で、ちゃんとプロップスが返ってきたときはホントに、、ピークアワーかな。楽しませたい気持ちは常に持ってるから、バーレスクも遊びにきてほしいし絶対に後悔させない、って思ってる。
私が辿ってきた経歴に悔いはないし何も恥じてないし全部話せる。女優だった時代も、その話に触れなかったら忘れ去られて何事もなくなるだろうけど、隠したくないから言うし。理解出来ない人はつるむ必要もないし。
高校、大学の友達も、クラブの遊び友達も、私が女優やってた頃から今も、誰も否定しなかった。いい環境だったし今後も色んな人達と出会って、私にしか出来ないような事を表現していきたい!!
.

.
– 今日はありがとうございました!今後の活躍も楽しみにしてます!(握手)あいちゃんの出演情報や近況に関しては、バーレスク東京のスケジュール、あいちゃんのツイッター等をチェックして是非現場でヴァイブスを体感してみて下さい!
.
.
<Twitter : あい@バーレスク東京

BURLESQUE東京 Website

.
.
PEAK HOUR!!

.

’深みあり危ないよ!’ ケイパくんソフビコレクション #1 新発売!!

昔から全国各地の河川に生息していると言い伝えられている妖怪、、「河童」をモチーフにした愛嬌たっぷりのゆるキャラ妖怪「ケイパくん」がソフビになって新発売!!

遂にソフビとなって立体化したケイパくん。一個一個、手作業による塗装で仕上げており、封を開けずに飾れる事をコンセプトにコンプリートしています。まるで水面から顔を出しているように見えるパッケージが堪りませんね!!

「深みあり危ないよ!」それは、ケイパくんからの意味深なメッセージ! 
.

深みあり危ないよ!ケイパくんソフビコレクション #1

SIZE W73mm / H73mm ※最大幅

¥4,600(税抜4,259)
.
.

PEAK HOUR!!

.
.