VULGAR from illeffects interview

  2019年10月最後の土曜日。歌舞伎町から程近いビルの隙間から漏れてくる、大音量の音楽。更に歩み寄ると路上にはDJブースが置かれていて、奇抜なファッションを纏った強面のDJが、時には踊りだしながら、軽快に曲を繋いでいく。傍らにはFREEのテキーラ・コーナ一もあって、通りすがりの様々な人達がぞろぞろと群がり、皆それぞれ曲に合わせて踊ったりしながらその場の雰囲気を楽しんでいる。

突如として目の当たりにした光景、それがSTREET STYLEのPARTYを主催するクルー “illeffects” だ。今回はクルーの首謀者でもあるDJの “VULGAR” に、これまでの経緯やSTREETでDJをやり続ける思いなど、色々と話を聞いてみた。

Interview,Text: KANE  / Shooted by Great The Kabukicho

 

– DJをやり始めるに至るまでは、どのように音楽と接していたのですか?

小さい時から家ん中ではずーっとJAZZ, FUNKとかROCKが流れてて、自然にそういうの聴いてたすね。

小学生の頃、音楽にハマる前からウーファーが好きで。逗子に米軍の街があるんすけど、そこから爆音で車が出てきたり、横須賀に映画観に行ったりした時、そこら辺の店からドゥーンドゥーンってなってるお店とか車とかあって。「ドゥーンドゥーンやべえ!」みたいな。で、小6ぐらいでそういう黒人のやってるお店でかかってる曲とか、「この曲はなんなんだ?」って聞いて。CDとか見せてくれて教えてくれるだけど、字も読めねえし目でジャケを覚えて。それでCD屋行って何の曲だかを割り出して、レンタルする。でもそんなに金もなかったし、CD屋にCDラジカセ持ってって店の中で聴いてましたね、店の中で聴いて終わり、みたいな。そうやってハマっていきましたね。その頃は “HIP HOP” っていう単語もまだ知らなくて。アルファベットも記号に見えるし。

中2で初めて新品で買ったCDがNASのStillmaticっていうアルバムで。もう嬉しくて、カセットに移して、家に小さいラジカセあったんで、それを自転車に括り付けて走ったりしてましたね。周りは洋楽のHIP HOP聴いてなくて、俺1人で凄い好きだったんすよ。その頃、何でも違法ダウンロードしてCD-Rにしてくれる先輩がいて、夜中にやってたTVのTOP40みたいな番組でチェックした Snoop Doggとか Cypress Hillの曲を先輩のトコ行ってCDに焼いてもらったりして聴いてましたね。周りは俺の事ヤンキーみたいに扱ってたけど、自分ではそう思ってなかったし、喧嘩も好きじゃないし。色んな範囲に友達作りたいと思ってて、他の学校の正門の前行って派手なヤツとか可愛い女の子に話しかけるみたいな。そうやって友達は出来たんだけど、中3のある時期になると急になんか揉めるみたいな。~中と~中のアタマ同士がタイマン、みたいのが始まるんすよ、地元の伝統なのか知らないですけど。仲良かった別の中学のヤツが突然「おいこのヤロー!」ってなって「え?これ何だろう?」みたいな。

– すごい社交的というか、勢いがありますね。

何だったかよく解らないけど、じっとしてらんない、みたいな。そうゆう事も一人でやってたんで。一人で行くか、たまにパシリみたいなヤツ連れていったり。中3の時とか隣の中学でASSASSYN着てるヤツとか、B-BOYファッションしててDS455とか聴いてるヤツとか仲良くなって、DS455もそいつが教えてくれて。カラオケにもあったすね。チャンプロードと平行してCUSTOM LOWRIDINGってゆう雑誌も読んでて、B-BOYファッションはヤン服でもあったすね。中1終わり位からロン毛にしてピアス開けて金髪、太いズボン履いてB-BOYファッション!みたいな。PLAYAZの服とか着て、69とか書いてあって「これイカついべ~!」、「これデカくていいべ~!」みたいな。

高校に入る前に突然チカーノファッションに目覚めて、スキンヘッドにしちゃって、チェックシャツにチノパン、ロークみたいな。その直前まで頭ピンクにしてたんですけど。気合いを入れようって事で。高1の頃友達が横須賀のHIP HOPファッションの店で働いてて、それ経由でHIDEミュージアムでやってたFROSTの来日ライブに行ったんすけど、雑誌で見た事ある日本のラッパーも沢山出てて、その中でも感覚的にPHOBIA OF THUGがカッコ良くて本格的にウェッサイシーンにハマっていきましたね。

その半年後に横浜のBRIDGEでDJ FILLMOREさんのイベントがあって、初めて自分からクラブに行こう!ってなった時で。ちょうどその頃からIDチェックが厳しくなった年で、その時はなんとか入れたんだけど、すげー楽しくて俺もハイになっちゃって。見たことあるアーティストに片っ端に挨拶して。で、次のイベントある時にオープン前から待って、荷物持つの手伝って一緒に中入って。だんだんレコード持ち、みたいになってきて。早く行かなきゃ行けないんですけど、関係者のふりして中に入る、みたいな。そうしないと入れなくて、、そうやってイベントも行きまくってましたね。で、高3くらいかな?クラブでの友達も出来て、そいつらとC-WALKのクルーを3人で組み始めて。1人アタマがいて、俺とタメのヤツもう1人の3人で青ギャングみたいな。その頃はDJ GOさんのイベント行きまくってC-WALKをしまくる、みたいな。LOOSE NIGHTとか。首都高でビール飲みながらバイクで行って。「上げてこー!」みたいな。その流れで「DJやろう!」「DJかっこいい!」ってなっていきましたね。

高校卒業した年に働き始めた頃、ローン組んでターンテーブル買って、DJも皆で練習したりしてたんですけど、20歳になるチョイ前、ある日家に帰ったらターンテーブルとか色々無くなってて、、多分なんか恨みを買って盗まれたんでしょうね。それをクルーのリーダーに電話したらすげえブちぎれられて。「何なんだろこれ?なんか嫌だな、、」ってなって、そこ引き払ってバッくれたんですよ。友達の高円寺の近くの家に転がり込んで、そこで一応身を伏せてる状態だからファッションを変えよう、ってなって「ああいうノリもうんざりだ、こんな服着たくねえ!」って。細身のリーバイスとか履いてロックTとか着て。高円寺っぽい、、そういうノリに急にチェンジして、ハーレーとか欲しいな、みたいな。

– 節目節目でファッション的にも突然変わって行くんですね。

でも、結局どんな格好しててもHIP HOPが好きなんですよね。夏にバッくれて冬にはDJやりてーな、ってなって。その頃はパソコンでDJする事をすげー否定してたんすよ。俺もレコードとCDでやってたし。でもパソコンならすぐ始められる、ってなって。TSUTAYA行ってCD借りてきて入れちゃえばいいんだ、って思った日の夕方にはヨドバシカメラ行ってカード切ってパソコン買って、そのままその足で楽器屋行って、ローン組んでターンテーブルのセットとスクラッチライブを買ってミキサー買って針買って、、一気にまとめてローン。「やったろう!!」と思って。

転がり込んだ家からも数ヶ月で引っ越して練馬に行ったんですよ。練馬なら駐車場も安いし、音楽をやるなら車も欲しい!ていう理由で車も買うんですよ、セフィーロ。その頃はホントにたま~に友達のイベントに出る、みたいな。練馬で暮らし始めてから、またC-WALKやってたクルーの奴らと会わなきゃいけない、っていう話になっちゃって。ちょうどその頃に、部屋の物盗まれた時の犯人を俺が見つけて、そいつを詰める話だったのが、、そいつ不良にチクっちゃって、クルーのヤツのとこに不良から連絡きて、、。結局、俺が話つけに行ったんすけど、色々因縁付けられて。すげえ吹っかけられたり、詰められたりして、、東京居られねえな、めんどくせえ、ってなってまた飛ぶんですよ。

今度は茨城に。そこから茨城は3~4年ですね。機材はあったけど、東京とか遮断されたからどんどん普通の生活になって行って。DJで現場に出れないし曲作りをしよう、ってことでMPCとか買ってみたけど思うように作れなくて。そういうグダグダを3~4年。最初は普通に仕事してたんですけど、ちょうど脱法ハーブが流行り始めてて、脱法ドラッグ屋で雇ってもらって、、気がついたら店長みたいな。そこにDJブースとか持ってきちゃって一日中DJやりながら脱法ドラッグやって、売って、どんどん売り上げを伸ばすみたいな。でも取り締まりがきつくなってきて、お店を畳む羽目になって。この場所をどうする?ってなって、知り合いの彫り師さんのタトゥーショップと、何か俺の店をやる事になって、全然脳も無いんだけど洋服屋をやる、ってなって。でも全然洋服売れなくて。金もないし、、。ちょっとお金入ると脱法ドラッグ買うんですよ。なんかもう最悪で。23~24歳くらいの頃なんすけどどん底、みたいな。その頃世話になってた人が東京で建設業やってて「ウチこいよ」って言われて。内心すげえ嫌だったんだけど、金も無いし背に腹は代えられない、って事で又東京に戻るんですよ。世田谷だったんですけど。

それと同時に、またクラブとかちょいちょい行くようになるんですけど、東京戻って来てもだらしない感じは抜けなくて、脱法パウダーみたいなのハマっちゃてて、、速い系なんすけどヤバいんすよ、あっという間に朝になっちゃう。それで歯も無くなっちゃって。歯溶けちゃって。それでもひたすらやっちゃてて。で、そのうちコソコソやるようになってきちゃって、、。誰にも言わない。周りは気付いてるけど。クラブの中で熱くもないのに、1人だけ汗びっしょりだったり。でも仕事もしんどかったし、脱法系も段々やらなくなって、、気がついたら辞めれて。自然に辞めれましたね。「こんなのダメだ!」ってなって。もう無いすね。

それからちょっとして事故るんですよ、バイクで。膝潰れて足ぐちゃぐちゃに骨折してスネから変な方に曲がって。仕事してたけど、またそこで生活が変わるんですよね。一ヶ月で退院はするんですけど松葉杖で仕事もできないし、急に暇になって。スクーターだったら足折れてても乗れる、っていう事でバイク速攻買って。今も乗ってるヤツなんですけど。それで渋谷とか意味もなく行って、金がマジ無いから座って音楽聴いてる、みたいな。小さいスピーカーで。今も一緒にやってる、MATATABEATとか、もう1人のつるんでたヤツと、何か外でやりたいね、ってなって。最初、渋谷のモアイ像の前でiPhoneに小さいスピーカー繋げてMATATABEATの路上ライブをやろう!って事で自分達で始めたのに、やってみたら全然面白くなくて。俺はただiPhone押してるだけなんすよ。足折れたまんまなんすけど。「これじゃつまんねえし、台も持って行ってDJもやってさ、ブロックパーティーみたいなさ、、」って話して、それで始めたんですよ。まあ暇だったし、MATATABEATもライブするタイミングが無いって状態だったんで。

– それが “illeffects” の始まりなんですね。

俺がDJでトップをはってるクルーで、MATATABEATはラッパー、TMKはパーカッションプレイヤーですね。”illeffects” は悪影響っていう意味で。人から人への悪影響とかじゃなくて、地球規模の温暖化だったり、水質汚染による魚の大量死とかそういう規模の意味なんですよ。気がついたら大変なことに巻き込まれちゃう、みたいな。

 

最初は代々木公園でやり始めたんです。日曜日にロカビリーの人達がやってる場所があって、その場所で半年くらい続けた頃、2015-2016の年越し間近だったんすけど「カウントダウンやっちゃおうよ!」ってなって。それまで客が1人とか2人しかいない中でやってたんで、何も期待してなかったんですよ。で、23:30くらいから渋谷のドンキーの前あたりで始めてみたら、どんどん人が増えて、、。いつもは自分のテンションも低かったから、曲のテンションも低かったんですよ。でもその時はすげーハッピーな状態だったから、それまで自分でもやった事ないような、色んなジャンルの俺の中でのアゲ曲を混ぜて、朝の4時くらいまでやって。遂には車道にまで人が溢れるくらいになって。「地球!」みたいな。「全人種いる!」みたいな。老若男女いて、横のホームレスはインド人と一緒に踊ってるし、目の前で土方の恰好したフィリピン人がブース倒れないように見張ってくれてるし。全部いて。とにかくいろんなジャンルがいるんですよ。

そこから何か変わっちゃって。いきなしアゲる、みたいな。その時に今のスタイルを確立しましたね。踊りながらDJするし。それまでは金髪だったんですけど、、カウントダウンの時からですよ、初音ミクの髪の色いいな、ってなって髪の毛も緑色にして。見た目もカッコ良くしてかなきゃ、ってことで年開けてすぐDJブース買って、小さいテーブルじゃひっくり返っちゃうし。スピーカーも地面においてたんけど、台に置こうってなったり、、。それをやりだして何となく今の形になってきて。

その頃は日曜日の夕方くらいから、渋谷のあちこちでやってましたね。でも全然盛り上がんなくて。あんなに盛り上がったの、カウントダウンだったからかな?って思ったんだけど、、冷静に考えたら土曜日の夜やれば盛り上がるんじゃないの?ってなって。土曜にやってみたらまんまと盛り上がって。カウントダウンの再来、みたいになって。それで2016年の春くらいから、土曜日、月2回ってなりましたね。

盛り上がりそうだし、その年のハロウィンもやろう!ってなって。そこで初めてモデルをやるキッカケがあって、たまたまパーティの中にいたファッション関係の、パリのブランドのデザイナーで。ウチのモデルをやってくれって話になって、それのサイトとかに出たら急にファッション関係みたいな友達とか知り合いが増えてきて。未知の世界で。「とにかく服高いな!」って。それがあってから色んな国のやつから「モデルをやってくれ」って来るんですよね。アルゼンチンもあるしフランスとか。「ウチのブランドのパーティーでDJして欲しい」とか。それはそれで面白いからやったりして、、。そのうち訪ねてくるヤツも現れ始めて、「NYで友達に話聞いて来たんだ。」とか、俺の知らない間に噂が回ってるみたいな。ライブしたい、ってヤツも現れ始めてアメリカとかスウェーデンとかのラッパー来てライブする、っていう事も取り込んでいって。

– 展開がワールドワイドですね。今も渋谷でやるんですか?

いつもやってた渋谷の場所で2018年の終わりくらいに連行されて。そのころには結構バチバチだったんで渋谷警察。警察でも俺を知らないヤツいない、俺=DJ、みたいな。挨拶しにくる警官もいて、平日に歩いてるだけなのに、「あ!DJの!今度クラブとかでやらないんですか?」って。そういうの好きなお巡りもいるんで。でも逆に違法駐車取り締まりとかローライダー取り締まりとかの時はお巡りも俺の事見ただけで分かるから、お巡りが俺から離れない。パーティ始めようと思っても、道路の反対側からずっと見てて、荷物おろそうとするとピピピピー!って笛吹かれて。2時間待ってやっと始めるとか、結構末期になってきて、、限界、みたいな。バンドのヤツとか駅前でライブしてるヤツがパクられたりもし始めて。

これめんどくせえなって。そろそろ違う場所に侵攻しようと。それで今年の頭から新宿に変えて、今の場所で始めて、2020の1月で1周年。6月でilleffectsやりはじめて5周年ですね。同じ場所で旗とか立ててるし、勝手にやってるだけなんすけど、謎にオフィシャル感でてきちゃって、まあそういう勘違いは多いにして頂いて、みたいな。

– そもそも “illeffects” の存在を知ったのは、”NFK” のゲリラライブ告知があって見に来た時がキッカケでした。Googleマップ見ながら来てみたら、新宿のビルの隙間にDJブースがあって、緑色の髪の凄い雰囲気のDJが爆音で音楽流して踊ってて、、どんな感じでライブが始まるんだろう?って思ってたら、そこにNFKのバイク集団が現れてライブして、、ライブも凄い勢いで10分くらいで終わってその後もDJパーティーが続いて、、っていう展開があまりにも衝撃的で「新宿のど真ん中で何だこれは!?ヤベえ~!!」ってなりました。VULGARさんは “illeffects” とは別に “NFK” のメンバーでもあるんですよね。

そうですね。世田谷界隈に住んでた頃、俺が適当にチャリンコ走ってたら「こんちわ~!」ってCPWってお店の前でNFKのモトヤンさんに話しかけられて。なんかすげえお店だな、って思って。そこからちょいちょい挨拶したり、お店溜まったりするようになって。それまでNFKとかCPWって全然知らなかったし、オレにとって全部新しい世界でしたね。そういう感じで影響されていったすね。

– 新宿のブロックパーティーも絶妙な場所ですよね。ど真ん中だけど隙間、みたいな。DJって言うとクラブだったりバーで回すイメージがあるんですが、路上でやる事へのこだわりがあるんですか?

今の場所も見つけるのが大変でしたね。すげー歩きましたね。”DJ” って言ったらブロックパーティーだし、俺DJ Kool Herc大好きだし、究極を突き詰めると”STREET”しかない。ドラッグ売るとか、クラブでシャンパン開けるとか、そういうのがSTREETみたいに言われたりするけど「そいつら見た事無えけどな、ココにいるぞ、俺!」みたいな。「ストリートいるなら俺の事も知ってるでしょ?それがストリートでしょ?」みたいな。いろんな”STREET”の定義があっていいと思うんすけど、、渋谷にいるホームレスとか、行く宛も無くほっつき歩いてるヤツとか、スケーターとか、BMXライダーとかがその辺で遊んでて、、それこそがSTRRETでしょ!って思うし。

路上でやってると「そこから有名になれるといいね!」とか、言われたりするんですけど、「いや、別に、、よくないよ!」みたいな。DJがフロアーの王様!ってうイベントあるじゃないですか、高いトコにいて、人が豆粒みたいで。あんなの出来ねえよ、って思うっすね。もっと同じ目線がいいし。俺が出て来たら皆がiPhone!みたいなの超嫌だし、そういう現場はクソ寒いすね。

最初にやったカウントダウンの時も車椅子の人いて、体も麻痺してて何言ってるかも分かりづらいような。でもなんか楽しそうにしてたし、俺も朝までやりきって終わった後に、一番にそいつに話しかけにいったんすよ。そしたら「クラブとか行けないけど、こういう音楽は大好きだ!で、ずっと居ました」っていう風に言ってて。うお~!ヤベえな!って。もう、そんとき泣きそうになっちゃって。横にホームレスのおっさんもずっと居たし、こんな楽しそうにしてんだ!って思ったし。印象深いのは、「死のうと思ってフラフラしてたんだけど、君たちの事見て、考えて、どんだけ馬鹿臭いか分かったよ」って言ってくれたおっさんがいて、、ポケットから有り金全部出してきて「これで何か食べなよ!」って。で、5分後に戻って来て「1000円だけ返して!」みたいな。家に帰る事考えてくれたんだ、っていう。良かった~、って思うっすね。その後、その人ともFacebookで友達になって、今も元気にやってるし。皆、クラブに居るような人達じゃ無いんすよね、雰囲気的に。何を探してた訳じゃないけど、見つけた!って顔してるんすよ。そういうのがどんどん後押しになっていって。色んな人に会えるし。ホームレスのおっさんなんかは「救世主だ!」とか言ってくれたりして。初期の頃から来てくれてるワタルちゃんもバスロータリーに住んでて。携帯も持ってないけど、その仲間とかもいてどういうネットワークだか知らないけど、「八王子から来たよ!」って言う人もいたり。渋谷でやってた頃は、宮下公園の脇でパーティーやってたから、あそこら辺に住んでるホームレス結構友達になって。宮下公園再開発でみんな散っちゃったんですよ。携帯も無いし分からない、そういう人達も来るんですよね。そういうのがどんどんやり続ける理由になっていくんで。サプイラズをしたいですよね、街に。それがやっぱ一番いいな~って。

– 慈悲深いですね、、。

でもまあ、遊んでるだけなんですけどね。だからDJやっててビジネス的なビジョンとか夢とかある人、凄いと思いますね。この先はこうしていきたいとか言うじゃないですか。DJで凄い忙しくやってたり、仕事として稼いでる人もいて、凄いんだけど、、なんか事務が凄い人にしか見えないんすよ。事務作業が凄い人を、皆がiPhoneで撮ってるように見えちゃって。ホントごめん!そう見えちゃう!みたいな。既存のクラブDJっていう人達からしたら、完全にナメてる野郎なんですけど、、俺はクラブDJじゃないんで。俺はこうしてたいんだよ、ってだけなんで。こうしていたい、をどれだけ良くしていくか。だから別の手段で金稼げばいいし、金が稼げればどれだけパーティーを良くするか、みたいな。それはもう単純に良いスピーカー買うとか。でもスピーカー増やしたり大きくしたい訳じゃなくて、今やってるぐらいの範囲でより良く。

機材以外でももっと色んな酒を配れるとか、定期的にパーティー来るヤツ居たら飯食わしてやったりしたいし。その場だけでも温かい飯食えれば違うすからね、ホームレスになれば温かい飯食えないヤツいっぱいいますから。最高じゃないですか?音楽流れててフリーで酒飲めて、、。今はテキーラだけなんで、ゆくゆくはもっと出していければ良いと思ってるし。

– 商売としてやってないと、色々と出費も大変そうですね。

そうっすね、超貧乏。チップとか入れてくれる人も居るけどまあ全然足んないし。だからといってチップを増やそう、っていう努力とか一切しないし。

国内で人気無くていいんで。有名になると、どうしてもみんなiPhoneくんiPhoneちゃんになっちゃうんで。路上ライブでHIP HOPやってるヤツもいるんですけど、まあ大体そうなっちゃってますよね。だからメディアとかは大体お断りだし、TVとか言い出した瞬間に断るっすね。雑誌も来たすよ、「記事にしたいんですけど、次いつやるんですか?」みたいな。で、「有る事無い事書くじゃん、ヤダよ」って言っても「有名になれますよ!」ってくるから「有名になりたくてやってんじゃねーんだよ!」って。そんなの余計な事にしかならないし。

ネットとかでも皆が出てるようなHIP HOPメディアとかあるじゃないすか?そういうとこは絶対に出たくないすね。メディアアレルギーみたいな。ホント、勘違いされるんですよね。路上でやってるから「有名になりたい!」「ココから先、ココを抜け出してどんどん有名になりたい!」みたいな思われてるんすけど、、そりゃ金持ちにもなりたいし、イイ車にも乗りたいし。でもその為に自分のパーティーを切り売りして、やりたくない事したくないし。もちろん稼ぐのは良い事だけど、稼がなくても良いじゃないですか。だからこれで稼ぐ事に必死にはなりたくないかな。

行く末はなんかそうゆうパーティーにふれあう機会が無い所、、施設とかで、子供達だったり障害者だったり、求める人が居て、場所があったらそういう所でもパーティーやりたいですね。ボランティア精神がある訳じゃないんですけど、、昔から遊び行ったりしてたんですよね、障害者施設とか。こうゆうの好きな人、色んな所に居ると思うんですよ。

本格的にどんどん本当の意味でストリートで知られていったら、もっとでかい炊き出しとかもやりたいし。代々木公園でも鍋とか作ってるんですけど、たまたま来たヤツにも振る舞うし、ホームレスの人達も実際喜ぶから、そういう人達にもっと広まってほしいですね。凄い小規模ですけどね。俺たちも楽しいし。身の丈でなるようになっていけば、俺らもやれる事やっていくし。

– これからも路上のパーティーで何が巻き起こるのか、楽しみにしています!!

常に今が楽しいっすね。後退が無いんで、今のところ。この先も平行で、上に上がって行くとか無いかもしれないですけど。毎回楽しみだもんな、次にパーティーやるの。毎回違いますもん。その時にならないと俺も分からないし。

 

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